夜船閑話 / 序
馬年今歲古稀に越へたりといへども、半點の病患なく齒牙全く搖落せず、眼耳次第に分明にして、動もすれば靉靆を忘る。每月兩度の法施終に怠倦せず、請に佗方に應じて三百五百の海衆を聚會して、或は五旬七旬を經に錄に雲水の所望に隨て胡說亂道する者大凡五六十會に及ぶといへども、終に一日も罷講齋を鎖さず。身心健康氣力は次第に二三十歲の時には遙かに勝されり。是皆彼の內觀の奇功に依ることを覺ふ。
新字:馬年今歳古稀に越へたりといへども、半点の病患なく歯牙全く揺落せず、眼耳次第に分明にして、動もすれば靉靆を忘る。毎月両度の法施終に怠倦せず、請に佗方に応じて三百五百の海衆を聚会して、或は五旬七旬を経に録に雲水の所望に随て胡説乱道する者大凡五六十会に及ぶといへども、終に一日も罷講斎を鎖さず。身心健康気力は次第に二三十歳の時には遥かに勝されり。是皆彼の内観の奇功に依ることを覚ふ。
書き下し
馬年今歳古稀に越へたりといへども、半点の病患なく歯牙全く揺落せず、眼耳次第に分明にして、動もすれば靉靆を忘る。毎月両度の法施終に怠倦せず、請に佗方に応じて三百五百の海衆を聚会して、或は五旬七旬を経に録に雲水の所望に随て胡説乱道する者大凡五六十会に及ぶといへども、終に一日も罷講斎を鎖さず。身心健康気力は次第に二三十歳の時には遥かに勝されり。是皆彼の内観の奇功に依ることを覚ふ。
現代語訳
わたしは今年で七十歳を越えたが、少しの病気もなく、歯も一本も抜け落ちず、目や耳はしだいにはっきりとして、ともすれば眼鏡を忘れるほどである。毎月二度の説法は一度も怠ったことがなく、他所からの招きに応じて三百人、五百人の修行僧を集め、五十日、七十日にわたって経典や語録について、修行僧の望みに従ってでたらめな話をすることが、およそ五、六十回に及ぶが、一日も講義を休んだことはない。身心は健やかで、気力は二、三十歳のころよりはるかに勝っている。これはみな、あの内観の効き目によるものだと感じている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。
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『夜船閑話』序妄想の功果つもらば、一身の元気いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然たること、いまだ篠打ちせざる鞠の如けん。恁麼に単々に妄想し将ち去て、五日七日乃至二三七日を経たらむに、従前の五積六聚、気虚労役等の諸症底を払て平癒せずんば、老僧が頭を切り持ち去れ。
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『墨子』魯問魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。
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『後世への最大遺物』第二回・来年また会うときまでにまことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少くございますから、私の考えをことごとく述べることはできない。しかしながら私は今日これで御免をこうむって山を降ろうと思います。それで来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
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老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
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