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夜船閑話 / 本文

公若し心炎意火を收めて丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に淸涼にして一點の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん。是眞觀淸淨觀なり。云ふことなかれ、しばらく禪觀を抛下せんと。佛の言はく、心を足心にをさめて、能く百一の病を治すと。阿含に酥を用るの法あり、心の勞疲を救ふこと尤妙なり。天台の摩訶止觀に病因を論ずること甚だ盡せり。治法を說くことも亦甚だ精密なり。十二種の息あり、よく衆病を治す。臍輪を緣して豆子を見るの法あり。其大意、心火を降下して丹田及び足心に收るを以て至要とす。但病を治するのみにあらず、大に禪觀を助く。

新字:公若し心炎意火を収めて丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に清涼にして一点の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん。是真観清浄観なり。云ふことなかれ、しばらく禅観を抛下せんと。仏の言はく、心を足心にをさめて、能く百一の病を治すと。阿含に酥を用るの法あり、心の労疲を救ふこと尤妙なり。天台の摩訶止観に病因を論ずること甚だ尽せり。治法を説くことも亦甚だ精密なり。十二種の息あり、よく衆病を治す。臍輪を縁して豆子を見るの法あり。其大意、心火を降下して丹田及び足心に収るを以て至要とす。但病を治するのみにあらず、大に禅観を助く。

書き下し

公若し心炎意火を収めて丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に清涼にして一点の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん。是真観清浄観なり。云ふことなかれ、しばらく禅観を抛下せんと。仏の言はく、心を足心にをさめて、能く百一の病を治すと。阿含に酥を用るの法あり、心の労疲を救ふこと尤妙なり。天台の摩訶止観に病因を論ずること甚だ尽せり。治法を説くことも亦甚だ精密なり。十二種の息あり、よく衆病を治す。臍輪を縁して豆子を見るの法あり。其大意、心火を降下して丹田及び足心に収るを以て至要とす。但病を治するのみにあらず、大に禅観を助く。

現代語訳

おまえがもし心の炎と思いの火を収めて、丹田と足の裏の間に置けば、胸はおのずと涼しくなって、少しのはからいや思いもなく、一滴の心の波立ちもなくなるだろう。これが真の観、清らかな観である。しばらく禅の観法を投げ出す、などと言ってはならない。仏は言われた。心を足の裏に収めれば、よく百一の病を治す、と。阿含経には酥を用いる法があり、心の疲れを救うことにこのうえなく優れている。天台の摩訶止観は、病の原因を論じることが実に詳しく、治し方を説くこともまた実に精密である。十二種類の息の法があって、多くの病を治す。臍を縁として豆粒を観る法もある。その大意は、心の火を降ろして丹田と足の裏に収めることを要としている。これはただ病を治すだけでなく、大いに禅の観法を助けるのである。

解説

内観は禅を中断する回り道ではなく、それ自体が真の観法であり、禅の修行を助けるものだ、と白幽は念を押す。白隠が、しばらく禅観を捨てて治療に専念します、と言ったことへの訂正である。阿含経や天台の『摩訶止観』など、仏教の正統な典籍にも同じ方法があると挙げて、この教えが仏道の中にあることを示している。休むことや整えることを、本業からの離脱ではなく本業の一部として捉え直す視点がここにある。

この章句が説くこと

摩訶止観足心休養禅観本業心火

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