夜船閑話 / 本文
山野初め參學の日、誓つて勇猛の信心を憤發し不退の道情を激起し、精鍊刻苦する者旣に兩三霜、乍ち一夜忽然として落節す。從前多少の疑惑根に和して氷融し、曠劫生死の業根底に徹して漚滅す。自ら謂らく、道人を去ること寔に遠からず。古人二三十年是何の捏怪ぞと、怡悅踏舞を忘るゝ者數月、向後日用を廻顧するに、動靜の二境全く調和せず。去就の兩邊總に脫洒ならず。
新字:山野初め参学の日、誓つて勇猛の信心を憤発し不退の道情を激起し、精錬刻苦する者既に両三霜、乍ち一夜忽然として落節す。従前多少の疑惑根に和して氷融し、曠劫生死の業根底に徹して漚滅す。自ら謂らく、道人を去ること寔に遠からず。古人二三十年是何の捏怪ぞと、怡悅踏舞を忘るゝ者数月、向後日用を廻顧するに、動静の二境全く調和せず。去就の両辺総に脫洒ならず。
書き下し
山野初め参学の日、誓つて勇猛の信心を憤発し不退の道情を激起し、精錬刻苦する者既に両三霜、乍ち一夜忽然として落節す。従前多少の疑惑根に和して氷融し、曠劫生死の業根底に徹して漚滅す。自ら謂らく、道人を去ること寔に遠からず。古人二三十年是何の捏怪ぞと、怡悅踏舞を忘るゝ者数月、向後日用を廻顧するに、動静の二境全く調和せず。去就の両辺総に脫洒ならず。
現代語訳
わたしが初めて修行を始めたころ、勇猛な信心を奮い起こし、退かない求道の心をかき立てて、懸命に刻苦すること二、三年、ある夜ふいに悟りが開けた。これまでの多くの疑いは根こそぎ氷が解けるように消え、はるか昔からの生死の迷いの根は底まで泡のように消え去った。自分で思った。道は人から遠いものでは決してない。古人が二、三十年もかけたとは、なんというでたらめか、と。喜びのあまり踊り出すことを数か月も忘れなかった。ところがその後、日々の暮らしを振り返ってみると、動いているときと静かにしているときの二つの境地がまったく調和せず、進むも退くも、どちらにもさっぱりとした自由がない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
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徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
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尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。
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尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
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葉隠・聞書第一順境には自慢と奢りがあぶなきなり。その時は、日頃の倍(ばい)慎まねば、追ひ付かざるなり。よき時進む者は、悪しき時草臥(くたび)るるものなり。