夜船閑話 / 本文
自ら謂らく猛く精彩を着け、重ねて一囘捨命し去んと、越いて牙關を咬定し雙眼睛を瞠開し、寢食ともに廢せんとす。既にして未だ期月に亘らざるに心火逆上し肺金焦枯して雙脚氷雪の底に浸すが如く、兩耳溪聲の間を行くが如し。肝膽常に怯弱にして、擧措恐怖多く、心神困倦し、寐寤種々の境界を見る。兩腋常に汗を生じ、兩眼常に淚を帶ぶ。此において遍く明師に投じ、廣く名醫を探るといへども、百藥寸功なし。
新字:自ら謂らく猛く精彩を着け、重ねて一囘捨命し去んと、越いて牙関を咬定し双眼睛を瞠開し、寝食ともに廃せんとす。既にして未だ期月に亘らざるに心火逆上し肺金焦枯して双脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に怯弱にして、挙措恐怖多く、心神困倦し、寐寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。此において遍く明師に投じ、広く名医を探るといへども、百薬寸功なし。
書き下し
自ら謂らく猛く精彩を着け、重ねて一囘捨命し去んと、越いて牙関を咬定し双眼睛を瞠開し、寝食ともに廃せんとす。既にして未だ期月に亘らざるに心火逆上し肺金焦枯して双脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に怯弱にして、挙措恐怖多く、心神困倦し、寐寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。此において遍く明師に投じ、広く名医を探るといへども、百薬寸功なし。
現代語訳
自分で思った。激しく気力を奮い、もう一度命を捨てる覚悟でやり直そう、と。そこで歯を食いしばり、両目を見開いて、寝ることも食べることもやめようとした。ところが、まだ一か月もたたないうちに、心の火が頭に上り、肺が焦げ枯れたようになって、両足は氷や雪の底に浸しているように冷たく、両耳には谷川の中を歩いているような音が鳴り続けた。肝も胆もいつも縮こまり、立ち居振る舞いに恐れが多く、心身は疲れ果て、寝ても覚めてもさまざまな幻を見る。両脇の下はいつも汗ばみ、両目はいつも涙を帯びている。そこで方々の名師を訪ね、広く名医を探したが、どんな薬も少しの効き目もなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』尚同下天子、其の知力を以て未だ獨り天下を治むるに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて三公と為す。三公も又た其の知力を以て未だ獨り天子を左右するに足らずと為す。是を以て國を分かちて諸侯を建つ。諸侯も又た其の知力を以て未だ獨り其の四境の内を治むるに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて卿の宰と為す。卿の宰も又た其の知力を以て未だ獨り其の君を左右するに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて鄉長家君と為す。是の故に古者、天子の三公・諸侯・卿の宰・鄉長家君を立つるは、特に富貴游佚にして之を擇ぶに非ざるなり。將に亂を治め刑政するを助けしめんとするなり。故に古者、國を建て都を設け、乃ち后王君公を立て、奉ずるに卿士師長を以てするは、此れ説を用いんと欲するに非ず。唯だ辯じて天民を治むるを助けしむるなり。
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論語・雍也篇冉求曰く、「子の道を説ばざるに非ず、力足らざるなり。」子曰く、「力足らざる者は、中道にして廃す。今女は画れり。」
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『後世への最大遺物』第二回・誰でも文学者になれるわけではないそう申しますと、またこういう問題が出てきます。われわれは金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまた、それならばといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋では喜ぶかもしれませぬけれども、社会では喜ばない。文学者の世の中にふえるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかも知れない。ゆえに、もしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起る。それは私にもたびたび起った問題であります。なるほど文学者になることは、私が前に述べましたとおりやさしいこととは思いますけれども、しかし誰でも文学者になるということは、実は望むべからざることであります。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・一国の文明は政府の力のみにて進まず政府一新の時より在官の人物、力を尽くさざるにあらず、その才力また拙劣なるにあらずといえども、事を行なうに当たり如何ともすべからざるの原因ありて、意のごとくならざるもの多し。その原因とは、人民の無知文盲すなわちこれなり。政府すでにその原因のあるところを知り、しきりに学術を勧め、法律を議し、商法を立つるの道を示す等、あるいは人民に説諭し、あるいはみずから先例を示し、百方その術を尽くすといえども、今日に至るまでいまだ実効の挙がるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。あるいはわずかに進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきはなんぞや。けだし一国の文明は、ひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり。