戦国策 / 主父欲伐中山
主父欲伐中山,使李疵觀之。李疵曰:「可伐也。君弗攻,恐後天下。」主父曰:「何以?」對曰:「中山之君,所傾蓋與車而朝窮閭隘巷之士者,七十家。」主父曰:「是賢君也,安可伐?」李疵曰:「不然。舉士,則民務名不存本;朝賢,則耕者惰而戰士懦。若此不亡者,未之有也。」
新字:主父欲伐中山,使李疵観之。李疵曰:「可伐也。君弗攻,恐後天下。」主父曰:「何以?」対曰:「中山之君,所傾蓋与車而朝窮閭隘巷之士者,七十家。」主父曰:「是賢君也,安可伐?」李疵曰:「不然。舉士,則民務名不存本;朝賢,則耕者惰而戦士懦。若此不亡者,未之有也。」
書き下し
主父、中山を伐たんと欲し、李疵をして之を観しむ。李疵曰く、「伐つ可きなり。君攻めざれば、天下に後れんことを恐る」と。主父曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「中山の君、蓋を傾け車を与に窮閭隘巷の士に朝する所の者、七十家なり」と。主父曰く、「是れ賢君なり、安んぞ伐つ可けんや」と。李疵曰く、「然らず。士を挙ぐれば、則ち民名を務めて本を存せず。賢を朝すれば、則ち耕す者惰りて戦う者懦す。此くの若くにして亡びざる者は、未だ之れ有らざるなり」と。
現代語訳
主父(趙の武霊王)が中山を討とうとし、李疵に偵察させた。李疵は「討伐してよろしいでしょう。もし今お攻めにならなければ、天下に後れをとることになるでしょう」と言った。主父が「なぜそう言えるのか」と尋ねると、李疵は答えた。「中山の君は、貧しい路地裏に住む名もなき士に対してまで、わざわざ車の覆いを傾けて自ら出向き、礼を尽くしております。そうした士は七十軒にも及びます」。主父は「それならば賢君ではないか。どうして討つことができようか」と言った。李疵は答えた。「そうではありません。士を次々と取り立てれば、民は名声を求めるばかりで本業をおろそかにするようになります。賢者ばかりを朝廷に集めて厚遇すれば、耕す者は怠け、戦う者は臆病になります。このようなありさまで滅びなかった国は、いまだかつてございません」。
解説

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