夜船閑話 / 本文
古人云く、相火上り易きは身中の苦しむ所、水を補ふは、火を制する所以なり。蓋し火に君相の二義あり、君火は上に居して靜を主どり、相火は下に處して動をつかさどる。君火是一心の主なり、相火は宰輔たり、蓋し相火に兩般あり、謂ゆる腎と肝となり。肝は雷に比し、腎は龍に比す。是故に云ふ、龍をして海底に歸せしめば、必ず迅發の雷なけん。但し雷をして澤中に藏れしめば、必ず飛騰の龍なけん。海か澤か水にあらずと云ふことなし。是相火上り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心勞煩する則は、虚して心熱す。心虚する則は、是を補するに心を下して以て腎に交ゆ。是を補と云ふ。既濟の道なり。
新字:古人云く、相火上り易きは身中の苦しむ所、水を補ふは、火を制する所以なり。蓋し火に君相の二義あり、君火は上に居して静を主どり、相火は下に処して動をつかさどる。君火是一心の主なり、相火は宰輔たり、蓋し相火に両般あり、謂ゆる腎と肝となり。肝は雷に比し、腎は竜に比す。是故に云ふ、竜をして海底に帰せしめば、必ず迅発の雷なけん。但し雷をして沢中に蔵れしめば、必ず飛騰の竜なけん。海か沢か水にあらずと云ふことなし。是相火上り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心労煩する則は、虚して心熱す。心虚する則は、是を補するに心を下して以て腎に交ゆ。是を補と云ふ。既済の道なり。
書き下し
古人云く、相火上り易きは身中の苦しむ所、水を補ふは、火を制する所以なり。蓋し火に君相の二義あり、君火は上に居して静を主どり、相火は下に処して動をつかさどる。君火是一心の主なり、相火は宰輔たり、蓋し相火に両般あり、謂ゆる腎と肝となり。肝は雷に比し、腎は竜に比す。是故に云ふ、竜をして海底に帰せしめば、必ず迅発の雷なけん。但し雷をして沢中に蔵れしめば、必ず飛騰の竜なけん。海か沢か水にあらずと云ふことなし。是相火上り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心労煩する則は、虚して心熱す。心虚する則は、是を補するに心を下して以て腎に交ゆ。是を補と云ふ。既済の道なり。
現代語訳
古人は言った。相火が上りやすいことは、身体の苦しむところである。水を補うことは、火を制する方法である、と。思うに、火には君火と相火の二つの意味がある。君火は上にあって静を司り、相火は下にあって動を司る。君火は一身の主であり、相火は宰相である。さらに相火には二種類あり、いわゆる腎と肝である。肝は雷にたとえ、腎は龍にたとえる。だから、龍を海の底に帰らせれば、必ず激しい雷は起こらない。雷を沢の中に隠れさせれば、必ず飛び上がる龍はいない。海も沢も、水でないものはない。これは相火が上りやすいのを制する言葉ではないか。また言う。心が疲れ煩えば、虚して心が熱する。心が虚したときは、これを補うのに心を下して腎に交わらせる。これを補うという。既済の道である。
解説
この章句が説くこと
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