呂氏春秋 / 用眾①
善學者若齊王之食雞也,必食其跖數千而後足,雖不足,猶若有跖。
新字:善学者若斉王之食雞也,必食其跖数千而後足,雖不足,猶若有跖。
書き下し
善く學ぶ者は、齊王の雞を食らうが若きなり。必ず其の跖を食らうこと數十にして而る後足る。足らざると雖も、猶ほ跖有るが若し。
現代語訳
よく学ぶ者は、斉王が鶏を食べるようなものだ。必ずその足のかかと(跖)を何十も食べて、それでようやく満足する。それでも足りないとしても、なお跖があるかのように次々に求め続ける。
解説
この段は、よく学ぶ者のあり方を、斉王が鶏の足のかかとを何十も食べてようやく満足する姿にたとえます。わずかな部分でも数多く集めれば大きな満足に至る、そして足りなければなお求め続けるという貪欲な学びの姿勢が要点です。「用衆(衆を用いる)」という篇の主題どおり、一つひとつは小さくても多くを集めることの効用を、身近な比喩で導入しています。背景には、優れた知や力は一人の突出よりも多くの積み重ねから生まれるという考えがあります。現代でも、小さな学びや情報を軽んじず、幅広く数多く取り入れて積み上げていく姿勢が大きな成果につながるという、学び方の教訓として読むことができます。
この章句が説くこと
用衆善学比喩積み重ね貪欲な学び
関連する章句
-
人物志・九徵猶ほ火日の外を照らして、內を見る能はず、金水の內に映じて、外に光る能はざるがごとし。
-
説苑・善說客梁王に謂いて曰く、「惠子の事を言うや譬を善くす。王をして譬うる無からしめば、則ち言うこと能わじ。」王曰く、「諾。」明日見えて惠子に謂いて曰く、「願わくは先生の事を言うは則ち直言せよ、譬うる無かれ。」惠子曰く、「今此こに人有りて彈を知らざるに、『彈の狀は何の若きか』と曰わば、應えて『彈の狀は彈の如し』と曰わば、諭らんか。」王曰く、「未だ諭らざるなり。」「是に於て更に應えて『彈の狀は弓の如くにして竹を以て弦と爲す』と曰わば、則ち知らんか。」王曰く、「知るべし。」惠子曰く、「夫れ說く者は固より其の知る所を以て、其の知らざる所を諭し、人をして之を知らしむ。今王『譬うる無かれ』と曰わば、則ち不可なり。」王曰く、「善し。」
-
戦国策・謂公叔曰乘舟公叔に謂いて曰く、「舟に乘るに、舟漏れて塞がざれば、則ち舟沈まん。漏舟を塞ぎて、陽侯の波を輕んずれば、則ち舟覆らん。今公自ら薛公に辯ずるを以て秦を輕んずるは、是れ漏舟を塞ぎて陽侯の波を輕んずるなり、願わくは公之を察せよ。」
-
孫子・勢篇故に戦いを善くする者の勢は、円石を千仞の山より転ずるが如きなり。
-
人物志・釋爭気を交えて疾く争う者は、口を易えて自ら毀るを為すなり。辞を並べて説を競う者は、手を貸して以て自ら毆つを為すなり。
-
説苑・尊賢応侯賈午子と坐す。其の琴を鼓するの声を聞き、応侯曰く、「今日の琴、一に何ぞ悲しきや」と。賈午子曰く、「夫れ急に張りて調べ下きが故に、人をして悲しましむるのみ。急に張る者は、良材なり。調べ下き者は、官卑きなり。夫の良材を取りて之を卑官にす、安んぞ悲しみ無き能わんや」と。応侯曰く、「善いかな」と。