夜船閑話 / 本文
幽微々として笑て云く、然らず、李氏云はずや、火の性は炎上なり、宜しく是を下らしむべし。水の性は下れるに就く、宜しく是をして上らしむべし。水上り火下る、是を名づけて交と云ふ。交る則は既濟とす。交らざる則は未濟とす。交は生の象、不交は死の象なり。李家が謂ゆる淸降に偏なりとは、丹溪を學ぶ者の弊を救はむとなり。
新字:幽微々として笑て云く、然らず、李氏云はずや、火の性は炎上なり、宜しく是を下らしむべし。水の性は下れるに就く、宜しく是をして上らしむべし。水上り火下る、是を名づけて交と云ふ。交る則は既済とす。交らざる則は未済とす。交は生の象、不交は死の象なり。李家が謂ゆる清降に偏なりとは、丹渓を学ぶ者の弊を救はむとなり。
書き下し
幽微々として笑て云く、然らず、李氏云はずや、火の性は炎上なり、宜しく是を下らしむべし。水の性は下れるに就く、宜しく是をして上らしむべし。水上り火下る、是を名づけて交と云ふ。交る則は既済とす。交らざる則は未済とす。交は生の象、不交は死の象なり。李家が謂ゆる清降に偏なりとは、丹渓を学ぶ者の弊を救はむとなり。
現代語訳
白幽はかすかに笑って言った。そうではない。李氏も言っているではないか。火の性質は燃え上がることだから、これを下らせるのがよい。水の性質は低いところへ流れることだから、これを上らせるのがよい。水が上り火が下る、これを交わるという。交われば既済であり、交わらなければ未済である。交わりは生の姿、交わらないのは死の姿である、と。李士才が冷やして降ろすことに偏るなと言ったのは、朱丹溪を学ぶ者たちの弊害を救おうとしたのである。
解説
白幽は、白隠の疑問に対して、李士才自身の言葉を引いて答える。火は下へ、水は上へ巡らせて交わらせることが生命の姿であり、ただ冷やせと言っているのではない。既済と未済は易の卦で、水と火が交わって完成した状態と、交わらずに未完成の状態を表す。李士才の戒めは、特定の学派の行き過ぎを正すための言葉であって、文脈を外して一般化してはいけない、という指摘も鋭い。引用の文脈を確かめよという教訓でもある。
この章句が説くこと
水火既済陰陽文脈巡り易経医学
関連する章句
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『夜船閑話』本文古人云く、相火上り易きは身中の苦しむ所、水を補ふは、火を制する所以なり。蓋し火に君相の二義あり、君火は上に居して静を主どり、相火は下に処して動をつかさどる。君火是一心の主なり、相火は宰輔たり、蓋し相火に両般あり、謂ゆる腎と肝となり。肝は雷に比し、腎は竜に比す。是故に云ふ、竜をして海底に帰せしめば、必ず迅発の雷なけん。但し雷をして沢中に蔵れしめば、必ず飛騰の竜なけん。海か沢か水にあらずと云ふことなし。是相火上り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心労煩する則は、虚して心熱す。心虚する則は、是を補するに心を下して以て腎に交ゆ。是を補と云ふ。既済の道なり。
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『夜船閑話』本文予が曰く、謹んで命を聞いつ。且らく禅観を抛下し、努め力めて治するを以て期とせん。恐るゝ所は李士才が謂ゆる清降に偏なる者にあらずや。心を一処に制せば、気血或は滞碍することなからむか。
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『淮南子』覽冥訓夫れ陽燧は火を日に取り、方諸は露を月に取る。天地の間、巧曆も其の數を舉ぐる能わず、手は徽忽怳として、其の光を覽る能わず。然れども掌握の中を以て、類を太極の上に引きて、水火立ちどころに致す可き者は、陰陽 氣を同じくして相い動けばなり。此れ傅說の辰尾に騎る所以なり。故に至陰は飂々、至陽は赫赫たり。兩者交わり接して和を成して、萬物生ず。眾雄にして雌無くんば、又た何の化か能く造る所ならんや。所謂 言わざるの辯、道わざるの道なり。故に遠きを召す者は無為ならしめ、近きを親しむ者は無事ならしむ。惟だ夜行なる者のみ能く之を有つ。故に走馬を卻けて以て糞し、車軌 遠方の外に接せず、是れを坐馳陸沈と謂う。晝は冥く宵は明るく、冬を以て膠を鑠かし、夏を以て冰を造る。夫れ道なる者は、私に就く無く、私に去る無し。能なる者は餘り有り、拙なる者は足らず。之に順う者は利あり、之に逆らう者は凶なり。譬えば隋侯の珠、和氏の璧のごとし。之を得る者は富み、之を失う者は貧し。得失の度、深微窈冥にして、知論を以てし難く、辯說す可からず。何を以て其の然るを知る。今夫れ地黃は骨に屬くを主り、而して甘草は肉を生ずるの藥を主る。其の骨に屬くを以て、其の肉を生ずるを責め、其の肉を生ずるを以て、其の骨に屬くを論ずるは、是れ猶お王孫綽の偏枯の藥を倍して、以て殊死の人を生かさんと欲するがごとし。亦た論を失うと謂う可し。
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