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淮南子 / 覽冥訓

夫陽燧取火于日,方諸取露於月,天地之間,巧曆不能舉其數,手徽忽怳,不能覽其光,然以掌握之中,引類於太極之上,而水火可立致者,陰陽同氣相動也。此傅說之所以騎辰尾也。故至陰飂々,至陽赫赫,兩者交接成和,而萬物生焉。眾雄而無雌,又何化之所能造乎?所謂不言之辯,不道之道也。故召遠者使無為焉,親近者使無事焉,惟夜行者為能有之。故卻走馬以糞,而車軌不接于遠方之外,是謂坐馳陸沈,晝冥宵明,以冬鑠膠,以夏造冰。夫道者,無私就也,無私去也。能者有餘,拙者不足,順之者利,逆之者凶。譬如隋侯之珠,和氏之璧,得之者富,失之者貧,得失之度,深微窈冥,難以知論,不可以辯說也。何以知其然?今夫地黃主屬骨,而甘草主生肉之藥也,以其屬骨,責其生肉,以其生肉,論其屬骨,是猶王孫綽之欲倍偏枯之藥,而欲以生殊死之人,亦可謂失論矣!

新字:夫陽燧取火于日,方諸取露於月,天地之間,巧暦不能舉其数,手徽忽怳,不能覧其光,然以掌握之中,引類於太極之上,而水火可立致者,陰陽同気相動也。此傅説之所以騎辰尾也。故至陰飂々,至陽赫赫,両者交接成和,而万物生焉。眾雄而無雌,又何化之所能造乎?所謂不言之弁,不道之道也。故召遠者使無為焉,親近者使無事焉,惟夜行者為能有之。故却走馬以糞,而車軌不接于遠方之外,是謂坐馳陸沈,昼冥宵明,以冬鑠膠,以夏造冰。夫道者,無私就也,無私去也。能者有余,拙者不足,順之者利,逆之者凶。譬如隋侯之珠,和氏之璧,得之者富,失之者貧,得失之度,深微窈冥,難以知論,不可以弁説也。何以知其然?今夫地黄主属骨,而甘草主生肉之薬也,以其属骨,責其生肉,以其生肉,論其属骨,是猶王孫綽之欲倍偏枯之薬,而欲以生殊死之人,亦可謂失論矣!

書き下し

夫れ陽燧は火を日に取り、方諸は露を月に取る。天地の間、巧曆も其の數を舉ぐる能わず、手は徽忽怳として、其の光を覽る能わず。然れども掌握の中を以て、類を太極の上に引きて、水火立ちどころに致す可き者は、陰陽 氣を同じくして相い動けばなり。此れ傅說の辰尾に騎る所以なり。故に至陰は飂々、至陽は赫赫たり。兩者交わり接して和を成して、萬物生ず。眾雄にして雌無くんば、又た何の化か能く造る所ならんや。所謂 言わざるの辯、道わざるの道なり。故に遠きを召す者は無為ならしめ、近きを親しむ者は無事ならしむ。惟だ夜行なる者のみ能く之を有つ。故に走馬を卻けて以て糞し、車軌 遠方の外に接せず、是れを坐馳陸沈と謂う。晝は冥く宵は明るく、冬を以て膠を鑠かし、夏を以て冰を造る。夫れ道なる者は、私に就く無く、私に去る無し。能なる者は餘り有り、拙なる者は足らず。之に順う者は利あり、之に逆らう者は凶なり。譬えば隋侯の珠、和氏の璧のごとし。之を得る者は富み、之を失う者は貧し。得失の度、深微窈冥にして、知論を以てし難く、辯說す可からず。何を以て其の然るを知る。今夫れ地黃は骨に屬くを主り、而して甘草は肉を生ずるの藥を主る。其の骨に屬くを以て、其の肉を生ずるを責め、其の肉を生ずるを以て、其の骨に屬くを論ずるは、是れ猶お王孫綽の偏枯の藥を倍して、以て殊死の人を生かさんと欲するがごとし。亦た論を失うと謂う可し。

現代語訳

陽燧という鏡は日から火を取り、方諸という器は月から露を取る。天地のあいだで、優れた暦の者でもその数を数え上げられず、手はかすかに揺れて、その光をとらえられない。それでも手のひらの中のもので、同じ類を極みのかなたから引き寄せ、水も火もたちどころに得られるのは、陰と陽が気を同じくして互いに動くからである。これが傅説が星となって辰尾に乗ったという理由である。だから極みの陰は吹き渡り、極みの陽は燃え輝く。両者が交わり接して和を成し、万物が生じる。雄ばかりで雌がなければ、どんな変化が生まれようか。これがいわゆる、言わない弁、語らない道である。だから遠くの者を招くには何もしないことでさせ、近くの者と親しむには事を起こさないことでさせる。ただ闇の中を行く者だけがこれを持てる。だから走らせる馬を退けて田の肥やしとし、車の轍は遠方の外まで及ばない。これを、座ったまま馳せ、陸にいながら沈むという。昼は暗く夜は明るく、冬に膠を溶かし、夏に氷を造る。そもそも道というものは、えこひいきで近づくこともなく、えこひいきで去ることもない。能のある者には余りがあり、拙い者には足りない。これに順う者は利を得、逆らう者は凶を得る。たとえば隋侯の珠、和氏の璧のようなもので、これを得る者は富み、失う者は貧しい。得失の度合いは奥深くかすかで、知や議論では計りにくく、弁じ説くことができない。どうしてそうと分かるのか。いま地黄は骨をつなぐことを主り、甘草は肉を生じさせる薬である。骨をつなぐからといって肉を生じることを求め、肉を生じるからといって骨をつなぐことを論じるのは、王孫綽が半身不随の薬を倍にして死人を生き返らせようとしたのと同じである。これも論を失っているというべきだ。

解説

鏡が日から火を取り、器が月から露を取る。同じ気のものだけが響き合う、というのがこの段の芯です。だから雄ばかりでは何も生まれず、陰と陽が交わって和が成る。面白いのは末尾で、薬の話に落とすところです。「地黃は骨に屬くを主り、甘草は肉を生ずるの藥を主る」。骨に効く薬に肉を生ませようとするな、効く相手が決まっているものを、量や勢いで押し切ろうとするのが論の誤りだ、と。

この章句が説くこと

陽燧は火を日に取り方諸は露を月に取る陰陽気を同じくして相い動く両者交わり接して和を成して万物生ず道なる者は私に就く無く私に去る無し地黄は骨に属くを主り甘草は肉を生ずるの薬を主る感応

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