夜船閑話 / 本文
予卽ち裳を褰げて上る。巉岩を踏み、蒙茸を披けば、氷雪、草鞋を咬み、雲露、衲衣を壓す。辛汗を滴て苦膏を流して、漸く彼の蘆簾の處に到れば、風致淸絕實に物表に丁々たることを覺ふ。心魂震ひ恐れ、肌膚戰栗す。且らく巌根に倚て數息する者數百、少焉あつて衣を振ひ襟を正して、畏づ畏づ鞠躬して、簾子の中を望めば、朦朧として幽が目を收めて端坐するを見る。
新字:予即ち裳を褰げて上る。巉岩を踏み、蒙茸を披けば、氷雪、草鞋を咬み、雲露、衲衣を圧す。辛汗を滴て苦膏を流して、漸く彼の蘆簾の処に到れば、風致清絶実に物表に丁々たることを覚ふ。心魂震ひ恐れ、肌膚戦栗す。且らく巌根に倚て数息する者数百、少焉あつて衣を振ひ襟を正して、畏づ畏づ鞠躬して、簾子の中を望めば、朦朧として幽が目を収めて端坐するを見る。
書き下し
予即ち裳を褰げて上る。巉岩を踏み、蒙茸を披けば、氷雪、草鞋を咬み、雲露、衲衣を圧す。辛汗を滴て苦膏を流して、漸く彼の蘆簾の処に到れば、風致清絶実に物表に丁々たることを覚ふ。心魂震ひ恐れ、肌膚戦栗す。且らく巌根に倚て数息する者数百、少焉あつて衣を振ひ襟を正して、畏づ畏づ鞠躬して、簾子の中を望めば、朦朧として幽が目を収めて端坐するを見る。
現代語訳
わたしはすぐに衣の裾をからげて登った。けわしい岩を踏み、生い茂る草を押し分けていくと、氷や雪が草鞋にかみつき、雲や露が衣にのしかかる。つらい汗をしたたらせ、苦しい脂汗を流して、ようやくあの蘆の簾のところに着くと、景色は清らかで俗世を離れ、まことに世の外にそびえ立つような心地がした。心は震え恐れ、肌はおののいた。しばらく岩の根もとに寄りかかって息を数えること数百、しばらくして衣を払い襟を正し、おそるおそる身をかがめて簾の中をのぞくと、ぼんやりと白幽が目を閉じて端坐しているのが見えた。
解説
雪の山を登り、ようやく白幽の庵の前に立った白隠は、すぐには入らない。岩に寄りかかって呼吸を整え、身なりを正し、おそるおそる中をのぞく。求め続けたものを前にしたときの緊張と畏れがよく伝わる描写だ。数息は息を数えることで、坐禅の基本的な方法でもある。大切な相手に会う前に、まず自分の呼吸と身なりを整える。その振る舞いには、教えを請う者の礼がそのまま表れている。
この章句が説くこと
礼畏敬呼吸数息観求道出会い
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