夜船閑話 / 序
此において眞正參玄の上士兩三輩を得て、內觀と參禪と共に合せ並らべ貯へて、且つ耕し且つ戰ふ者蓋し茲に三十年。年々一員を添へ二肩を增し得て、今既に二百衆に近かし。其中間方來の衲子、勞屈疲倦の族、或は心火逆上し正に發狂せんとする底を憐み、密かに此內觀の至要を傳授し、立所に快癒せしめ、轉々悟れば轉々進ましむ。
新字:此において真正参玄の上士両三輩を得て、内観と参禅と共に合せ並らべ貯へて、且つ耕し且つ戦ふ者蓋し茲に三十年。年々一員を添へ二肩を增し得て、今既に二百衆に近かし。其中間方来の衲子、労屈疲倦の族、或は心火逆上し正に発狂せんとする底を憐み、密かに此内観の至要を伝授し、立所に快癒せしめ、転々悟れば転々進ましむ。
書き下し
此において真正参玄の上士両三輩を得て、内観と参禅と共に合せ並らべ貯へて、且つ耕し且つ戦ふ者蓋し茲に三十年。年々一員を添へ二肩を增し得て、今既に二百衆に近かし。其中間方来の衲子、労屈疲倦の族、或は心火逆上し正に発狂せんとする底を憐み、密かに此内観の至要を伝授し、立所に快癒せしめ、転々悟れば転々進ましむ。
現代語訳
そこで、真に道を求める優れた者を二、三人得て、内観と参禅とをともに合わせ並べて蓄え、耕しながら戦うようにして、およそ三十年になる。年々一人を加え、二人を増やして、いまではもう二百人に近い。その間、方々から来た修行僧で、疲れ果てた者たちや、のぼせ上がっていまにも発狂しそうな者を憐れんで、ひそかにこの内観の要を伝え授け、たちどころに快癒させ、悟れば悟るほど、ますます進ませてきたのである。
解説
内観で心身を養うことと、坐禅や公案で道を究めることを、両輪として三十年続けてきたという。且つ耕し且つ戦うは、兵士が農耕と戦闘を兼ねた屯田の比喩で、休むことと攻めることを交互に行う姿勢を表している。弟子が二百人近くに増えたのも、この両立があったからだろう。成長だけを追えば人は壊れ、休むだけでは進まない。組織の育成で、鍛える仕組みと回復させる仕組みを一緒に持つことの大切さを示す段だ。
この章句が説くこと
両立回復修行組織内観参禅
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