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夜船閑話 / 序

各々西東五六里が間に分れて舊舍廢宅、老院破廟、借て以て菴居の處として淸苦す。朝艱暮辛、晝餒夜凍、口に投ずる者は菜葉麥麩、耳に觸るゝ者は熱喝垢罵、骨に徹する者は瞋拳痛棒、見る者顙を攅め、聞者肌汗す。鬼神もまた淚を浮べつべく、魔外もまた掌を合せつべし。其初め來る時は、宋玉何晏が美貌有て、肌膚光澤凝れる膏の如くなる者も、久しからずして恰も杜甫賈嶋が形容枯槁、顏色憔悴するが如く、或は屈子に澤畔に逢ふが如し。參玄軀命を顧みざる底の勇猛の上士にあらざるよりんば、何の樂み有てか、片時も湊泊することを得んや。是故に往々に參窮度に過ぎ、淸苦節を失する族は、肺金いたみかじけ水分枯渴して、疝癖塊痛難治の重症を發せんとす。

新字:各々西東五六里が間に分れて旧舎廃宅、老院破廟、借て以て菴居の処として清苦す。朝艱暮辛、昼餒夜凍、口に投ずる者は菜葉麦麩、耳に触るゝ者は熱喝垢罵、骨に徹する者は瞋拳痛棒、見る者顙を攅め、聞者肌汗す。鬼神もまた涙を浮べつべく、魔外もまた掌を合せつべし。其初め来る時は、宋玉何晏が美貌有て、肌膚光沢凝れる膏の如くなる者も、久しからずして恰も杜甫賈嶋が形容枯槁、顔色憔悴するが如く、或は屈子に沢畔に逢ふが如し。参玄軀命を顧みざる底の勇猛の上士にあらざるよりんば、何の楽み有てか、片時も湊泊することを得んや。是故に往々に参窮度に過ぎ、清苦節を失する族は、肺金いたみかじけ水分枯渴して、疝癖塊痛難治の重症を発せんとす。

書き下し

各々西東五六里が間に分れて旧舎廃宅、老院破廟、借て以て菴居の処として清苦す。朝艱暮辛、昼餒夜凍、口に投ずる者は菜葉麦麩、耳に触るゝ者は熱喝垢罵、骨に徹する者は瞋拳痛棒、見る者顙を攅め、聞者肌汗す。鬼神もまた涙を浮べつべく、魔外もまた掌を合せつべし。其初め来る時は、宋玉何晏が美貌有て、肌膚光沢凝れる膏の如くなる者も、久しからずして恰も杜甫賈嶋が形容枯槁、顔色憔悴するが如く、或は屈子に沢畔に逢ふが如し。参玄軀命を顧みざる底の勇猛の上士にあらざるよりんば、何の楽み有てか、片時も湊泊することを得んや。是故に往々に参窮度に過ぎ、清苦節を失する族は、肺金いたみかじけ水分枯渴して、疝癖塊痛難治の重症を発せんとす。

現代語訳

それぞれ東西五、六里の間に分かれて、古い家や廃屋、荒れた寺やこわれた社を借りて庵とし、清貧の苦しい修行をする。朝から晩まで苦労し、昼は飢え夜は凍え、口に入れるのは菜っ葉と麦のふすま、耳に入るのは激しい叱咤と罵声、骨にしみるのは怒りの拳と痛い棒。見る者は眉をひそめ、聞く者は肌に汗をかく。鬼神でさえ涙を浮かべ、魔物でさえ手を合わせるだろう。初めて来たときは宋玉や何晏のような美貌で、肌はつやつやと脂のようだった者も、ほどなく杜甫や賈島のように痩せ衰え、顔色はやつれ、屈原が沢のほとりをさまよったときのようになる。道を究めるために命を顧みない勇猛な者でなければ、何の楽しみがあって片時でもここにとどまれようか。だから、しばしば修行が度を越し、清貧の苦行が節度を失った者は、肺が傷みやつれ、体の水分が枯れて、腹部のしこりや痛みなど治りにくい重い病を発しかけるのである。

解説

白隠の門下の修行生活の過酷さを、中国の美男や痩せた詩人の名を並べて誇張混じりに描く。だが核心は最後の一文にある。熱心すぎて度を越した者が、心身を壊してしまう。いまでいう燃え尽きである。この書は、そうした真面目な人ほど陥る病への処方として書かれた。努力を称える一方で、節度を失った努力は人を壊すとはっきり書いているところに、指導者としての白隠の目の確かさがある。

この章句が説くこと

燃え尽き過労修行節度禅病心身

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