夜船閑話 / 序
寶曆丁丑の春、長安の書肆小川の何某とかや聞へし、遠く草書を裁して、吾が鵠林近侍の左右に寄せて云く、伏して承る、老師の古紙堆中夜船閑話とかや云へる草稿あり、書中多く氣を鍊り精を養ひ、人の營衞をして充たしめ、專ら長生久視の秘訣を聚む、謂ゆる神仙鍊丹の至要なりと。
新字:宝暦丁丑の春、長安の書肆小川の何某とかや聞へし、遠く草書を裁して、吾が鵠林近侍の左右に寄せて云く、伏して承る、老師の古紙堆中夜船閑話とかや云へる草稿あり、書中多く気を錬り精を養ひ、人の営衛をして充たしめ、専ら長生久視の秘訣を聚む、謂ゆる神仙錬丹の至要なりと。
書き下し
宝暦丁丑の春、長安の書肆小川の何某とかや聞へし、遠く草書を裁して、吾が鵠林近侍の左右に寄せて云く、伏して承る、老師の古紙堆中夜船閑話とかや云へる草稿あり、書中多く気を錬り精を養ひ、人の営衛をして充たしめ、専ら長生久視の秘訣を聚む、謂ゆる神仙錬丹の至要なりと。
現代語訳
宝暦七年の春、京の本屋、小川の何某という者から、遠く手紙が書かれて、わが鵠林の近侍のもとに届いた。こう書いてあった。うかがうところ、老師の古い紙の山の中に『夜船閑話』とかいう草稿があり、書中には多く、気を練り精を養い、人の血と気を体に満たして、ひたすら長生きの秘訣を集めてあるそうです。いわゆる神仙の錬丹術の要でございます、と。
解説
『夜船閑話』は、臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴(一六八五〜一七六八)が、宝暦七年(一七五七)に刊行した書である。この序は窮乏庵主饑凍と名乗る門下の筆で書かれているが、白隠自身が弟子の口を借りたとみる読み方も多い。始まりは京の本屋の出版依頼で、世間はこの草稿を長生きの秘術の書として噂していた。禅の老師の書が健康法として求められたという出発点が、この本の性格をよく表している。
この章句が説くこと
夜船閑話白隠出版養生長寿序
関連する章句
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『夜船閑話』序此において諸子旧書櫃を開けば、草稿、蠹魚の腹中に葬らるゝ者中葉に過たり。諸子即ち訂正伝写して、既に五十来紙を見る。即ち封裹して以て京師に寄せんとす。予が馬歯一日も諸子に長たるを以て其端由を書せんことを責む。予も亦辞せずして書す。
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『夜船閑話』序是故に世の好事の君子是をおもふこと荒旱の雲霓の如し。偶々雲水の徒侶竊かに伝写し来るあるも、秘重し珍蔵して、人をして見せしめず。天瓢むなしく櫃におさめて匿したるが如し。願くば是を梓に寿がふして以て其渴を慰せん。聞く、老師常に人を利するを以て老後を楽しみ玉ふと。若夫人に利あらば、師豈に是を吝しみ玉はんやと。二虎含み来て師に呈す。師微々として笑ふ。
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『夜船閑話』序馬年今歳古稀に越へたりといへども、半点の病患なく歯牙全く揺落せず、眼耳次第に分明にして、動もすれば靉靆を忘る。毎月両度の法施終に怠倦せず、請に佗方に応じて三百五百の海衆を聚会して、或は五旬七旬を経に録に雲水の所望に随て胡説乱道する者大凡五六十会に及ぶといへども、終に一日も罷講斎を鎖さず。身心健康気力は次第に二三十歳の時には遥かに勝されり。是皆彼の内観の奇功に依ることを覚ふ。
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『夜船閑話』序至人の云く、此は是神仙長生不死の神術なり。中下は世寿三百歳なるべし。其余は計り定むべからず。予則ち歓喜に堪へず、精修怠らざる者大凡三年、心身次第に健康に気力次第に勇壮なることを覚ふ。此において重ねて心に竊に謂へらく、縦ひ此真修を修し得て彭祖が八百の歳時を保ち得るも、唯是一箇頑空無智の守屍鬼ならくのみ。老狸の旧窠に睡るが如し。終に壊滅に帰せん。何が故ぞ、今既に独りも葛洪鉄拐張華費張が輩を見ず。如かじ四弘の大誓を憤起し菩薩の威儀を学び、常に大法施を行じ、虚空に先つて死せず、虚空に後れて生ぜざる底の不退堅固の真法身を打殺し、金剛不壊の大仙身を成就せんにはと。
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『夜船閑話』序住菴の諸子各々悲泣作礼して云く、吾が師大慈大悲、願くは内観の大略を書せよ。書して留めて後来禅病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師即ち頷す。立処に草稿成る。
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『夜船閑話』序是を憐み是を愁て、師不予の色有る者連日、乍ち忍俊不禁にして雲頭を按下し、老婆の臭乳を絞つて是に授るに内観の秘訣を以てす。乃ち云く、若是参禅弁道の上士心火逆上し、身心労疲し、五内調和せざることあらんに、鍼灸薬の三つを以て是を治せんと欲せば、縦ひ華陀扁倉といへども、輙く救ひ得ること能はじ。我に仙人還丹の秘訣あり、儞が輩試に是を修せよ、奇功を見ること、雲霧を披いて皎日を見るが如けん。