大和俗訓 / 巻之三・心術上
一言と行ふと、心と言と、表裏なかるべし。よろづの事いみじくとも、誠なくんば玉の盃の底なきが如くなるべし。吉田の兼好が、僞りても賢をまなばんを賢といふべしと云ふ。此のことば、甚敎に害あり。およそ人道は唯忠信にあり。すでに僞あらば、其餘は見るにたらず。僞りて賢をまなぶ、是を小人と云ふ。なんぞ賢といはんや。漢の王莽、宋の王荊公など、いつはりて賢を學びし故、はじめは君子の名を得るといへども、つひに天下をうばひ、天下を亂れり。是を賢といはんや。君子の道は純一にして僞なかるべし。かりそめにも、いつはれる念を心にさしはさむべからず。たとひ外に善を行ふとも、内に誠なくば君子の道にあらず。故に身ををさむるには、唯一すぢに誠の道を行ふべし。もし凡夫のためにいはゞ、僞りてするも、誠にするも、力を用ふる其勞は同じければ、とてものことに、唯まことを行ふべし。僞りて善を行ふは、あらはれて惡をするにまされども、誠あらざれば天道人道にそむきて、其つみふかし。誠いたれば、天地をうごかし、鬼神を感ぜしめ、人心を和らぐ。
新字:一言と行ふと、心と言と、表裏なかるべし。よろづの事いみじくとも、誠なくんば玉の盃の底なきが如くなるべし。吉田の兼好が、偽りても賢をまなばんを賢といふべしと云ふ。此のことば、甚教に害あり。およそ人道は唯忠信にあり。すでに偽あらば、其余は見るにたらず。偽りて賢をまなぶ、是を小人と云ふ。なんぞ賢といはんや。漢の王莽、宋の王荊公など、いつはりて賢を学びし故、はじめは君子の名を得るといへども、つひに天下をうばひ、天下を乱れり。是を賢といはんや。君子の道は純一にして偽なかるべし。かりそめにも、いつはれる念を心にさしはさむべからず。たとひ外に善を行ふとも、内に誠なくば君子の道にあらず。故に身ををさむるには、唯一すぢに誠の道を行ふべし。もし凡夫のためにいはゞ、偽りてするも、誠にするも、力を用ふる其労は同じければ、とてものことに、唯まことを行ふべし。偽りて善を行ふは、あらはれて悪をするにまされども、誠あらざれば天道人道にそむきて、其つみふかし。誠いたれば、天地をうごかし、鬼神を感ぜしめ、人心を和らぐ。
書き下し
一言と行ふと、心と言と、表裏なかるべし。よろづの事いみじくとも、誠なくんば玉の盃の底なきが如くなるべし。吉田の兼好が、偽りても賢をまなばんを賢といふべしと云ふ。此のことば、甚教に害あり。およそ人道は唯忠信にあり。すでに偽あらば、其余は見るにたらず。偽りて賢をまなぶ、是を小人と云ふ。なんぞ賢といはんや。漢の王莽、宋の王荊公など、いつはりて賢を学びし故、はじめは君子の名を得るといへども、つひに天下をうばひ、天下を乱れり。是を賢といはんや。君子の道は純一にして偽なかるべし。かりそめにも、いつはれる念を心にさしはさむべからず。たとひ外に善を行ふとも、内に誠なくば君子の道にあらず。故に身ををさむるには、唯一すぢに誠の道を行ふべし。もし凡夫のためにいはば、偽りてするも、誠にするも、力を用ふる其労は同じければ、とてものことに、唯まことを行ふべし。偽りて善を行ふは、あらはれて悪をするにまされども、誠あらざれば天道人道にそむきて、其つみふかし。誠いたれば、天地をうごかし、鬼神を感ぜしめ、人心を和らぐ。
現代語訳
言葉と行い、心と言葉に、表裏があってはいけません。どんなことが立派でも、誠がなければ、玉の杯に底がないようなものです。吉田兼好が「偽りでも賢人をまねるなら、それを賢人と言うべきだ」と言いました。この言葉は、はなはだ教えに害があります。およそ人の道はただ忠信にあります。偽りがあれば、そのほかは見るに足りません。偽って賢人をまねる、これを小人といいます。どうして賢人と言えましょう。漢の王莽や宋の王荊公などは、偽って賢人をまねたので、初めは君子の名を得たけれども、ついに天下を奪い、天下を乱しました。これを賢人と言えるでしょうか。君子の道は純一で偽りがあってはいけません。かりそめにも偽りの思いを心にさしはさんではいけません。たとえ外に善を行っても、内に誠がなければ君子の道ではありません。ですから身を修めるには、ただひたすら誠の道を行うべきです。もし凡人のために言うなら、偽ってするのも誠にするのも、力を用いる苦労は同じですから、どうせなら、ただ誠を行うべきです。偽って善を行うのは、あからさまに悪をするよりはましですが、誠がなければ天道にも人道にも背き、その罪は深いのです。誠が極まれば、天地を動かし、鬼神を感じさせ、人の心を和らげます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信初にうけ合はざるは、しばらく人の心に喜ばずといへども、信に害なし。心よわく又気かろがろしくして、たやすくうけあひ、後に其約違ひぬれば、甚信に害あり。されど人の為に謀つて忠あるは、人にまじはる道なれば、なるべき理だにあらば、うけ合ひて心を尽すべし。是忠厚の道なり。誠は実理なり。ここを以て、真実无妄之を誠と謂ふと、程子もいへり。中庸に誠は天の道なりといへるは、天道の実理、自然に行はるるを云ふ。聖人の誠も、亦同じ。つとめずして、自ら実なるなり。又曰く、之を誠にする者は人の道なりといへるは、人の力を用ひて、つとめなすを誠之と云ふ。是即忠信なり。つとめずして自然なるは誠なり。つとめて実なるは忠信なり。誠は理なり。忠信は心なり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上忠信は即人の誠なり。誠といはずして、忠信とのたまへるは、心にいつはりなくするは忠なり。言と事とにいつはりなくするは信なり。誠は天理の自然を云ふ。忠信は人のつとめ行へる誠を云ふ。理は一にして、おのづからなると、つとむるとの別あり。程子も、人道は唯忠信にあり、誠ならざれば物なしといへり。君父につかふるにも、誠なければ忠孝にあらず、万の事、誠なければ、さばかりの善事をなすといへど、偽となれば実事にあらず。つとめ行ふもあだごとなり。是無物なり。善事をつとめ行はば、名利のためにせずして、誠を以て行ふべし。是誠の善なり。
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『童子問』卷下大学に曰く、先後する所を知れば、則ち道に近しと。論語に曰く、信義に近ければ、言復むべし。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかると。若し後儒をして之を言はしめば、必ず曰はん、先後する所を知れば、則ち道に合ふと。必ず曰はん、信義に合ひ、恭礼に合ふと。而して近の字を用ふべからず。然るに聖賢皆近と言ふ者は、何ぞや。中庸に云ふ、忠恕は道を違ること遠からずと。亦近きを言ふなり。蓋し道の広大なる、何の執守する所ぞ。故に唯忠信を主とすることを要して、強ひて為すことを要せず。忠信を主とすれば、則ち中らずと雖も遠からず。強ひて為せば、則ち外は似て内は実に非なり。聖人の道は、優優洋洋として、促迫することを得ず、牽強することを得ず。顔子の亜聖も、猶曰く、三月仁に違はずと。曾子の篤行も、亦疾革まるに至つて、初めて簀を易ふ。天地の化も亦然り。二十四節、七十二候、或は進み或は退き、寒熱温涼、截然として悉く其の数のごとくなること能はず。亦活物なるが故なり。語に曰く、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよと。又曰く、奢れば則ち不遜、倹なれば則ち固なり。其の不遜ならんよりは寧ろ固なれと。寧とは庶幾の辞にして、亦近きの謂なり。聖人豈に其の一一中を得んことを欲せざらんや。而れども必ずしも得べからず。故に之を寧と謂ふ。蓋し人に教ふるに一歩を退きて質実に就くを以てするなり。註家は聖人の微意の在る所を知らず、乃ち前章に於て之を解して曰く、礼は中を得るを貴ぶ。奢れば則ち過ぎ、倹なれば則ち及ばず。二者皆礼に合はずと。又後章を解して曰く、奢倹倶に中を失ふ。已むことを得ずして時の弊を救ふなりと。果して其の説のごとくならば、則ち是れ聖人の言、皆半上落下にして、教と為すに足らざるなり。明道先生曰く、道の浩浩たる、何れの処にか手を下さん。惟誠を立てて、纔かに居るべきの処有りと。又曰く、惟誠心を進むれば、其の文章中らずと雖も遠からずと。伊川先生曰く、人の道は唯忠信に在りと。皆確言なり。人其の意味の深長なることを知らず。
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『五常訓』巻之五・信賢人以下は、天道聖人の如くならざれども、つとめて此誠を行ふは、是人の力を用ひて行ふ理なれば、人の道なりといへり。誠にあらざれば、天道人道共にたたず。故に孔子も、主忠信とのたまふ。忠信は人の誠、誠之者人の道といへる、是なり。程子も、人道は唯忠信にあり。誠ならざれば物なしといへり。又古語に、五常百行、誠に非ざれば非なり。其実なければ、此名なし。忠信は、即人の誠なり。程子も、己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふといへり。心をつくして残さざるを忠とし、言と行とに実を用ひて、いつはらざるを信と云ふ。心にある誠を忠とし、言行にあらはれたる誠を信と云ふ。
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『慎思録』巻之六吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一我が身の慾を恣にするより大なる禍なし。人の非をそしるより大なる悪なしと、古人いへり。此二は、義理に乖くのみならず、身を亡す道なり。常に心にかけて戒むべし。一凡平生の心法は、真実にして偽なかるべし。中庸に、誠は天の道なり、之を誠にする者は、人の道なりといへり。誠は天の道なりとは、陰陽のしわざ、日月のめぐり、春夏秋冬の次第、いにしへ今かはらず、草木の、春生じ、夏長じ、秋みのり、冬をさまりて、年々にかはりなきも、皆是天道の誠なり。之を誠にすとは、人の力にて、つとめて誠にするを云ふ。人は天地の子なれば、天道の誠を法とし、したがひて行ふべし。是之を誠にするは人の道なり。孔子も忠信を主とすとのたまへり。此意は、誠を以て人の心の主とすべしとなり。
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