大和俗訓 / 巻之二・為学下
不智といふべし。もしかくの如くならば、時俗の耳目を驚して道學の名を得ても、益なかるべし。無學なる人、かゝる學者を見ては、儒者は一向に偏にして、國俗と人情にそむき、時宜を知らざる無用の者と思へり。是道學の益すたれる所なり。明の陳繼儒が、僧は眞ならんことを要む、高からんことも要めずといへり。儒者も亦然り。儒者は唯道を信じて、直實なるを貴しとす。人に高ぶりて誠少なきは賤むべし。
新字:不智といふべし。もしかくの如くならば、時俗の耳目を驚して道学の名を得ても、益なかるべし。無学なる人、かゝる学者を見ては、儒者は一向に偏にして、国俗と人情にそむき、時宜を知らざる無用の者と思へり。是道学の益すたれる所なり。明の陳継儒が、僧は真ならんことを要む、高からんことも要めずといへり。儒者も亦然り。儒者は唯道を信じて、直実なるを貴しとす。人に高ぶりて誠少なきは賤むべし。
書き下し
不智といふべし。もしかくの如くならば、時俗の耳目を驚して道学の名を得ても、益なかるべし。無学なる人、かかる学者を見ては、儒者は一向に偏にして、国俗と人情にそむき、時宜を知らざる無用の者と思へり。是道学の益すたれる所なり。明の陳継儒が、僧は真ならんことを要む、高からんことも要めずといへり。儒者も亦然り。儒者は唯道を信じて、直実なるを貴しとす。人に高ぶりて誠少なきは賤むべし。
現代語訳
不智というべきです。もしこのようであれば、世間の人の耳目を驚かせて道学者の名を得ても、益はないでしょう。無学な人は、このような学者を見て、儒者はひたすら偏屈で、国の風俗や人情に背き、時宜を知らない無用の者だと思います。これが道学の益が廃れる理由です。明の陳継儒は「僧は真であることを求め、高くあることを求めない」と言いました。儒者もまた同じです。儒者はただ道を信じて、正直で真実であることを貴いとします。人に高ぶって誠の少ないのは卑しむべきことです。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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『武士道』第七章 至誠信實・礼に過ぐれば諂いとなる礼もし誠を欠かば諧謔となり、狂言となる。伊達政宗曰はく、『礼に過ぐれば諂ひとなる』と。又た菅公が誠の歌に、『心だに誠の道にかなひなば、祈らずとても神や守らん』とあるは、ポローニアスが、『自から已に誠なるべし。さらば人に誠無き能はず』との訓言に比するに、義はなはだ深し。子思は『中庸』に於て誠を崇め、之れに超自然力を帰し、而も殆ど其力を神明と同視す。『誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと為す』と曰ひ、且つ流麗快達の弁を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動かさずして変じ、無為にして成すと説く。其旨の深玄にして神秘の妙域に騁するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトン学説の『ロゴス』(道)に比儔せんとすることあり。
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