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和俗童子訓 / 序

君子愼始、差若毫釐、繆以千里。是以古人生子、能食能言而敎之。聖人立小學之法、而養蒙以正者、誠有以也。蓋嬰孩之歲、人生之始也。是性相近、而未有習之時、雖知思未發、其爲善爲惡之岐、從此而分矣。辨其毫釐之邪正、而導之以善者、宜於此焉。是所以愼始也。苟諭敎之不早、年稍長、則內爲嗜好所陷溺、外爲流俗所誘惑、人欲肆而天理滅矣。貿貿焉莫知所之。欲不歸小人之趣、不可得已。此非繆以千里乎。故敎人之法、以豫爲急。後世民間小兒之輩、蒙養不正、其平日所見聞習熟、皆是戕賊德性、蔑棄禮法之事而已。予於此乎、不自揣僭率、取古人訓子弟之意書以國字、欲便窮鄕村童之無師無學者之翫讀也。顧昏耄之齒、不能爲文理。恐不足曉諭童蒙而已矣。有志之君子改作惟幸。

新字:君子慎始、差若毫釐、繆以千里。是以古人生子、能食能言而教之。聖人立小学之法、而養蒙以正者、誠有以也。蓋嬰孩之歳、人生之始也。是性相近、而未有習之時、雖知思未発、其為善為悪之岐、従此而分矣。弁其毫釐之邪正、而導之以善者、宜於此焉。是所以慎始也。苟諭教之不早、年稍長、則内為嗜好所陥溺、外為流俗所誘惑、人欲肆而天理滅矣。貿貿焉莫知所之。欲不帰小人之趣、不可得已。此非繆以千里乎。故教人之法、以予為急。後世民間小児之輩、蒙養不正、其平日所見聞習熟、皆是戕賊徳性、蔑棄礼法之事而已。予於此乎、不自揣僭率、取古人訓子弟之意書以国字、欲便窮郷村童之無師無学者之翫読也。顧昏耄之歯、不能為文理。恐不足暁諭童蒙而已矣。有志之君子改作惟幸。

書き下し

君子は始めを慎む、差ふこと毫釐のごとくなれば、繆ること千里を以てす。是を以て古人子を生めば、能く食ひ能く言ふときにして之を教ふ。聖人小学の法を立てて、蒙を養ふに正を以てする者、誠に以有るなり。蓋し嬰孩の歳は、人生の始めなり。是れ性相近くして、未だ習ひ有らざるの時、知思未だ発せずと雖も、其の善を為し悪を為すの岐、此れより分かる。其の毫釐の邪正を弁じて、之を導くに善を以てする者、此に宜し。是れ始めを慎む所以なり。苟も諭教の早からざれば、年稍長ずるときは、則ち内は嗜好の陥溺する所と為り、外は流俗の誘惑する所と為り、人欲肆にして天理滅ぶ。貿貿焉として之く所を知る莫し。小人の趣に帰せざらんと欲すとも、得べからざるのみ。此れ繆ること千里を以てするに非ずや。故に人を教ふるの法は、予を以て急と為す。後世民間小児の輩、蒙養正しからず、其の平日見聞習熟する所、皆是れ徳性を戕賊し、礼法を蔑棄するの事のみ。予此に於てか、自ら僭率を揣らず、古人の子弟を訓ふるの意を取りて書するに国字を以てし、窮郷村童の師無く学無き者の翫読に便せんと欲す。顧みるに昏耄の歯、文理を為す能はず。恐らくは童蒙を暁諭するに足らざるのみ。有志の君子改作せば惟れ幸ひなり。

現代語訳

君子は物事の始まりを慎みます。始めにわずかな差があれば、行き着く先では千里もの誤りになるからです。そこで昔の人は子が生まれると、自分で食べ、ものが言えるようになった頃から教えました。聖人が小学の法を立て、幼い者を正しく養ったのには、まことに理由があるのです。思うに、赤子の頃は人生の始まりです。生まれつきの性は互いに近く、まだ習いが身についていない時期であり、知恵や思慮はまだ働いていないとはいえ、善をなすか悪をなすかの分かれ道はここから分かれます。そのわずかな邪正を見分けて、善へと導くのに最もふさわしいのはこの時期です。これが始めを慎むということです。もし諭し教えるのが早くなければ、年が少し長じると、内には好みの欲に溺れ、外には世俗の風に誘われ、人の欲がほしいままになって天理が滅びてしまいます。ぼんやりとして行くべき所もわからなくなり、小人の道に落ちまいと思っても、それはかなわないでしょう。これこそ始めの小さな差が千里の誤りになるということではないでしょうか。だから人を教える法は、前もって備えること(予)を急務とするのです。後の世の民間の子どもたちは、幼時の養いが正しくなく、ふだん見聞きして慣れ親しむことは、みな徳性をそこない、礼法をないがしろにすることばかりです。私はここに、身のほど知らずの軽率さを顧みず、古人が子弟を教えた意を取って仮名交じりの国字で書き、師もなく学問の機会もない片田舎の子どもたちが手に取って読めるようにしたいと思います。顧みれば老いぼれた年齢で、文章を整えることもできません。おそらく幼い者を諭すには足りないでしょう。志ある君子が書き改めてくださるなら、それこそ幸いです。

解説

八十一歳の益軒が和俗童子訓の冒頭に自ら漢文で記した序です。「差若毫釐、繆以千里」は古くから引かれる成句で、朱子の小学序の「能食能言而教之」など、朱子学の幼児教育論を土台にしています。人の性はもともと近く、分かれ目は習いにあるという論語の考えを受け、教育は早く始めるほど効くと説きます。わざわざ仮名で書いた理由を、師のいない村の子にも読めるようにするためと明かしている点に、晩年の益軒の庶民教育への志が表れています。今日の幼児教育や、新人育成で最初の習慣づけを重んじる考え方にもそのまま通じる序文です。

この章句が説くこと

教育子育て始め習い小学

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