和俗男子訓 / 巻一・文を終生学んでも武備は忘れぬ
一文學はまなび得ることかたく、武術はまなび得ることやすし、たとへば、百武人は得るとも、一文士は得るべからず、そのかみ揚雄は、詞賦をだに、小技なりとして、彫蟲篆刻になぞらへ、壯夫これをつくることを恥といへり、況や小藝をや、しかりといへども、武を以て家業とする者は、おこたることなかるべし、但し身を終るまで、文學をなすとも、一日も武備をば忘るべからず、今文學にこゝろざすものを見るに、武備のごときは、底をたゝいて竭たるがごとし、あゝ是たれがあやまちぞや、
新字:一文学はまなび得ることかたく、武術はまなび得ることやすし、たとへば、百武人は得るとも、一文士は得るべからず、そのかみ揚雄は、詞賦をだに、小技なりとして、彫虫篆刻になぞらへ、壮夫これをつくることを恥といへり、況や小芸をや、しかりといへども、武を以て家業とする者は、おこたることなかるべし、但し身を終るまで、文学をなすとも、一日も武備をば忘るべからず、今文学にこゝろざすものを見るに、武備のごときは、底をたゝいて竭たるがごとし、あゝ是たれがあやまちぞや、
書き下し
一文學はまなび得ることかたく、武術はまなび得ることやすし、たとへば、百武人は得るとも、一文士は得るべからず、そのかみ揚雄は、詞賦をだに、小技なりとして、彫蟲篆刻になぞらへ、壯夫これをつくることを恥といへり、況や小藝をや、しかりといへども、武を以て家業とする者は、おこたることなかるべし、但し身を終るまで、文學をなすとも、一日も武備をば忘るべからず、今文學にこゝろざすものを見るに、武備のごときは、底をたゝいて竭たるがごとし、あゝ是たれがあやまちぞや、
現代語訳
文学は学び取ることが難しく、武術は学び取ることがやさしいものです。たとえば、武人なら百人得られても、文士は一人も得られないほどです。昔、揚雄は詞賦でさえ小さな技だとして彫蟲篆刻になぞらえ、壮年の男子がこれをつくるのは恥だと言いました。まして小さな芸ごとなどは言うまでもありません。そうではありますが、武を家業とする者は怠ってはなりません。ただし、生涯文学に励むとしても、一日たりとも武備を忘れてはなりません。今、文学を志す者を見ると、武備については、底をたたいて尽きたように、まったく空っぽです。ああ、これは誰の過ちでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『和俗男子訓』・巻一・文と武を兼ね学ぶ士の心得一およそ、士としては、文武をまなぶと、尤おこたるべからず、むかし周成王告伯禽言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威德乃成、民親以服、とあり、意は、文武は、鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては、飛ことあたはざるごとし、文あれども、武なければ、人あなどりておそれず、武あれども、文なければ、人おそれてしたしまず、この故に、文と武とをかねまなびて、身におこなふときは、威德ともに備る故に、人したしみ、且おそれて、したがふといへり、今の世たま〱文學にこゝろざす者は、武術はいやしきことのやうにいひて、たしまず、武術をならふものは、文學は、手ぬるきさやうに思ひて、まなばず、これによりて、あるひは、怯弱にして、婦女のごとくになり、或は、麁暴にして、田夫のごとくになる、かたよれりといふべし、士たる者は、もつぱら心をつけて、さとすべし、
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『武士訓』卷一・第4段世俗の說に。われは武人なり。武をこそ專らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の兩輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。旣爲文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文學をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文學を後にすることなかれ。許棐氏が語に。讀孔孟之書而不嗜殺人者。未爲仁人也。讀孫吳之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍學すらすでにしかり。况や其以下の小藝をや。文學は木の根本のごとく。諸藝は枝葉にひとしといへり。幼より文學をせざるうちに。外の藝にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
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『文武訓』武訓上一甲冑の著やう、旗指物の制法、馬上にて刀を抜き鎗をつかひ、敵と組み合の法、或は不意に敵に出合ひたる時、敵に斬られず敵に勝つの法、凡匹夫の勇のはたらき、刀剣、及び馬芸につきてのわざ、又は戦場にあらずして、時の変に応ずる術も、士たる人習ひ知るべし。かやうの術を教ふる師あり、書あり、ならふべし。
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『文武訓』文訓上ここを以て、いとけなくわかき年、早く書をよむべし。もろもろの芸は、年たけてもならひやすし。只、書を読むことは、年たけては、おぼえよわく、気力すくなく、ひますくなし。このゆゑに、いとけなき時より、まづ、芸などのことわざはおろそかにしても、もはらつとめて書を読みならふべし。是、一生の身のたからとなるなり。書を読まざれば、道にくらきのみならず、万の事にくらし。書を読まざる人は、わがくらき事を知らず。はかなしといふべし。弓馬の芸をならひても、文字なければ、芸の理にくらくして其芸いやし。次に六芸をならふべし。もののふは、つるぎ、はこ、拳法などの術ならひ知るべし。文学は本なり、文武の芸は末なり。本なければ人の道立たず、末なければ人のわざ行はれず。
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『武人訓抄録』・文武を学ぶ害という世評一俗士不別いふ事あり、文理を學べば容貌異風に偏し、武備を習へば心術譎詐に陷ると、嗟呼是何の謂ぞや、己が嗜まざるの遁辭ならずむば、また惑へるの甚しき也、學者百千の衆多なるが中に、偶其類に似なるもあるべし、是文武の道を學習するの害にはあらずして、皆其人品の罪なり、これによつて文武の敎を忌棄ば、譬ば米粟を餐て噎死たる者を見て、嘉穀を鴆毒とおもひて是を斷がごし、如斯守株のやからは、正に飢に臨むにあらずんば、米粟の主味なる事を悟るべからず、正に災に遭ふにあらずんば、文武の至道なる事を知べからず、武人たらんものは、かゝる世諺に惑ふ事なかれ、況神武學習の人におゐてをや、
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『武訓』序・第1段文といひ、武といふ、分ちて是をいへば其の用大に同じからず。故に車の兩輪鳥の兩翼にたとへて、其一を闕くことあたはざることをいへるも、おなじからざるあとにつきて、文武の二を對しいへるのみ。合せて是れをいへば文武只一德にして、文の中に武あり、武の中に文あること、猶陰陽のたがひに根ざすがごとし。故に文なき武はまことの武にあらじ。わが國中頃保元平治より天正文祿の間にいたるまで、爭亂相踵で治日まれなりしかば、士人戎事に暇なく、文學をしるものすくなく、其の武とする所血氣の勇のみにして、眞の武道をしらず、勇俠刺客のしわざのごときを尙ぶこと風俗となり、其の餘習猶近世に及べり。今太平の化あまねく行はれ、四の海波しずかにして、人文日々に盛なれば、聖賢の遺訓家々に傳はり戶々に誦す。しかれども猶無學の輩は文武のことわりを辯へず、習俗にひかれてひが心得も有るべし。或は生質柔懦にして、治平に武をわすれざるの誠をおもはぬ輩も有るべし。先生俗士のために文武の二訓を著はし、其のことわりを辯明し給ふ。其の詞は假字にして讀みやすく、其の意は聖賢の正しきすぢを述べ給ふこと親切著明にして、且目今の時宜にかなはざることなし。世敎に補あること豈小ならんや。

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