菜根譚 / 前集
我貴而人奉之,奉此峨冠大帶也;我賤而人侮之,侮此布衣草履也。然則原非奉我,我胡為喜?原非侮我,我胡為怒?
新字:我貴而人奉之,奉此峨冠大帯也;我賤而人侮之,侮此布衣草履也。然則原非奉我,我胡為喜?原非侮我,我胡為怒?
書き下し
我貴くして人之を奉ずるは、此の峨冠大帯を奉ずるなり。我賤しくして人之を侮るは、此の布衣草履を侮るなり。然らば則ち原(もと)より我を奉ずるに非ず。我何為れぞ喜ばん。原より我を侮るに非ず。我何為れぞ怒らん。
現代語訳
私が高貴で人が敬うのは、この立派な冠と帯を敬っているのだ。私が卑しくて人が侮るのは、この粗末な衣と草履を侮っているのだ。であれば、もともと私を敬っているのではない。なぜ私が喜ぶのか。もともと私を侮っているのではない。なぜ私が怒るのか。
解説
人があなたを敬うのは、あなたの地位や肩書き、立派な身なりに対してかもしれません。また、人があなたを侮るのも、あなたの身分や外見が質素だからかもしれません。しかし、これらは本来のあなた自身を評価しているわけではありません。そうであるならば、他人の称賛に必要以上に喜んだり、侮蔑の言葉に深く傷ついたりする必要はないはずです。外からの評価に一喜一憂せず、自分自身の内なる価値に目を向けることの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
原非奉我我胡為喜原非侮我我胡為怒地位への反応批判謙虚人望
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