尉繚子 / 天官
天官時日、不若人事也。
書き下し
天官・時日は、人事に若かざるなり。
現代語訳
天文や暦占いによる吉凶は、人が実際に力を尽くすことには及ばない。
解説
占いや縁起は、実際に人が力を尽くしたかどうかには及ばない。試験前のお守りと、机に向かって積み重ねる勉強とは別物である。尉繚子はこの一句で、結果を運や吉凶に委ねる発想そのものを退けている。仕事でも人間関係でも、状況を動かすのは験担ぎではなく、自分が下した判断と積み重ねた準備だという当たり前の事実を、あらためて突きつけてくる言葉である。
この章句が説くこと
合理主義人事意思決定
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