うひ山ぶみ / 第四十五段
萬葉の哥の中にても、やすらかに長ケ高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし、又長哥をもよむべし、
新字:万葉の歌の中にても、やすらかに長ケ高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし、又長歌をもよむべし、
書き下し
万葉の歌の中にても、やすらかに長ケ高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし、又長歌をもよむべし、
現代語訳
『万葉集』の歌の中でも、穏やかで格調高く、のびやかな姿のものを習って詠むべきである。また長歌も詠むべきである。
解説
万葉集を手本にせよといっても、全部が手本になるわけではないと限定する。穏やかで格調高くのびやかなものを選べ、と。奥の注では理由をはっきり述べる。この集は選んで集めた集ではなく、良し悪しの区別なく集めたものだから、古いとはいえ悪い歌も多い、善悪をわきまえて拠るべきだ、と。さらに、耳慣れない珍しい語をわざわざ選び出して使い、人を驚かそうとするのは「いといとよろしからぬこと」だと戒める。古いものを尊ぶことと、古ければ何でもよいとすることは違う。権威ある古典の中身を、自分の目で選り分ける態度である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
万葉集選択眼手本長歌古典の批評
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしおのづからの勢ヒにて、万葉に載れるころの歌にいたりては、みなかまへてよくよまんと、求めたる物にこそあれ、おのづからに出来たるは、いとすくなかるべし、万葉の歌すでに然るうへは、まして後世今の世には、よくよまんとかまふること、何かはとがむべき、これおのづからの勢ヒなれば、古風の歌をよまん人も、隨分に詞をえらびて、うるはしくよろしくよむべき也、万葉の歌の中にても云々、此集は、撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば、古ヘながらも、あしき歌も多し、善悪をわきまへて、よるべきなり、今の世、古風をよむともがらの、よみ出る歌を見るに、万葉の中にても、ことに耳なれぬ、あやしき詞をえり出つかひて、ひたすらにふるめかして、人の耳をおどろかさんとかまふるは、いといとよろしからぬこと也、歌も文も、しひてふるくせんとて、求め過たるは、かへすかへすうるさく、見ぐるしきものぞかし、万葉の中にても、たゞやすらかに、すがたよき歌を、手本として、詞もあやしきをば好むまじき也、
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うひ山ぶみ・注[ウ]万葉の歌の中にてもいまだその法度を示したる書などもなき故に、とかく古風家の歌は、みだりなることおほきぞかし、長歌をもよむべし、長歌は、古風のかた殊にまされり、古今集なるは、みなよくもあらず、中にいとつたなきもあり、大かた今の京になりての世には、長歌よむことは、やうやうにまれになりて、そのよみざまも、つたなくなりし也、後世にいたりては、いよいよよむことまれなりしを、万葉風の歌をよむ事おこりて、近きほどは、又皆長歌をも多くよむこととなりて、其中には、万葉集に入ルとも、をさをさはづかしかるまじきほどのも、まれには見ゆるは、いともいともめでたき大御世の栄えにぞ有ける、そもそも世の中のあらゆる諸の事の中には、歌によまんとするに、後世風にては、よみとりがたき事の多かるに、返て古風の長歌にては、よくよみとらるゝことおほし、これらにつけても、古風の長歌、必ズよみならふべきこと也、又後世風をもすてずして云々、今の世、万葉風をよむ輩は、後世の歌をば、ひたすらあしきやうに、いひ破れども、そは実によきあしきを、
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし上古のなれば、殊に古言古意をしるべき、第一の至宝也、然れどもその数多からざれば、ひろく考るに、ことたらざるを、万葉は、歌数いと多ければ、古言はをさをさもれたるなく、伝はりたる故に、これを第一に学べとは、師も教へられたる也、すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるやうなる理窟は、露ばかりもなく、たゞゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける、さて此万葉集をよむに、今の本、誤字いと多く、訓もわろきことおほし、初学のともがら、そのこゝろえ有べし、みづからも古風の歌をまなびてよむべし、すべて万ヅの事、他のうへにて思ふと、みづからの事にて思ふとは、浅深の異なるものにて、他のうへの事は、いかほど深く思ふやうにても、みづからの事ほどふかくはしまぬ物なり、歌もさやうにて、古歌をば、いかほど深く考へても、他のうへの事なれば、なほ深くいたらぬところあるを、みづからよむになりては、我ガ事なる故に、心を用ること格別にて、深き意味をしること也、
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うひ山ぶみ・第四十三段さて上にいへるごとく、二典の次には、万葉集をよく学ぶべし、みづからも古風の歌をまなびてよむべし、
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うひ山ぶみ・第四十六段さて又歌には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古学の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又後世風をも、棄ずしてならひよむべし、
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うひ山ぶみ・注[ウ]万葉の歌の中にてもさて又歌も文も、同じ古風の中にも、段々有て、いたく古きと、さもあらぬとあれば、詞もつゞけざまも、大抵その全体の程に応ずべきことなるに、今の人のは、全体のほどに応ぜぬ詞をつかふこと多くして、一首一篇の内にも、いたくふるき詞づかひのあるかと見れば、又むげに近き世の詞もまじりなどして、其体混雑せり、すべて古風家の歌は、後世家の、あまり法度にかゝはり過るを、にくむあまりに、たゞ法度にかゝはらぬを、心高くよき事として、そのよみかた、甚ダみだりなり、万葉のころとても、法度といふことこそなけれ、おのづから定まれる則は有て、みだりにはあらざりしを、法度にかゝはらぬを、古ヘと心得るは、大にひがごと也、既に今の世にして、古ヘをまねてよむからは、古ヘのさだまりにかなはぬ事有ては、古風といふ物にはあらず、今の人は、口にはいにしへいにしへと、たけだけしくよばはりながら、古ヘのさだまりを、えわきまへざるゆゑに、古ヘは定まれることはなかりし物と思ふ也、万葉風をよむことは、ちかきほど始まりたることにて、