うひ山ぶみ / 第四十四段
すべて人は、かならず哥をよむべきものなる內にも、學問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也、哥をよまでは、古への人のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし、
新字:すべて人は、かならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也、歌をよまでは、古への人のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし、
書き下し
すべて人は、かならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也、歌をよまでは、古への人のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし、
現代語訳
総じて人は必ず歌を詠むべきものであるが、その中でも学問をする者は、なおさら詠まなければならないわざである。歌を詠まなければ、古の人の細やかな心、風雅の趣は知りがたい。
解説
歌を詠むことを、学問をする者の必須の作業と位置づける。詠まなければ古人の細やかな心も、風雅の趣も知りがたい、と。ここで宣長が「くはしき意」という言葉を使っているのが要である。おおよその意味なら読むだけでも分かる。細部の陰影は、自分で同じことをしてみて初めて見える、という主張である。宣長の学問は、古代人の心の動きを復元しようとする試みであり、そのための方法として実作を置いた。感情や美意識という、論理では捉えにくいものに接近する手立てとして、模倣と実作を選んだところに、この学問の特色がある。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
歌風雅実作古人の心もののあはれ
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