うひ山ぶみ / 第二十六段
書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、
書き下し
書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、
現代語訳
『日本書紀』を読むには、大いに心得ておくべきことがある。文章のとおりに解釈しては、ひどく古の意にそむくことがあって、必ず漢意に落ち込んでしまう。
解説
『日本書紀』は漢文で書かれ、漢文らしい修辞が多く加えられている。だから文面をそのまま受け取ると、その修辞ごと古代の思想として読んでしまう、という警告である。奥の注では、世間の神道家がこの区別をせず、かえって漢文の潤色部分を喜んで尊び、そこに特に力を注いだ結果、解釈のすべてが漢流の理屈になってしまったと批判している。資料の形式が、その資料から読み取れる内容を歪めるという指摘であり、史料批判の発想に近い。翻訳や要約を通して情報を得るとき、その通し方自体が内容に何を加えているか。この問いは今も有効である。
この章句が説くこと
日本書紀史料批判漢文潤色読解法
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うひ山ぶみ・第三十九段さて又漢籍をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、万の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、
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うひ山ぶみ・第三十段又件の史どもの中に、御世々々の宣命には、ふるき意詞ののこりたれば、殊に心をつけて見るべし、
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うひ山ぶみ・第二十二段此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、
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うひ山ぶみ・第四十段但しからぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるゝことぞ、此心得肝要也、
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