うひ山ぶみ / 第二十六段
書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、
書き下し
書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、
現代語訳
『日本書紀』を読むには、大いに心得ておくべきことがある。文章のとおりに解釈しては、ひどく古の意にそむくことがあって、必ず漢意に落ち込んでしまう。
解説
『日本書紀』は漢文で書かれ、漢文らしい修辞が多く加えられている。だから文面をそのまま受け取ると、その修辞ごと古代の思想として読んでしまう、という警告である。奥の注では、世間の神道家がこの区別をせず、かえって漢文の潤色部分を喜んで尊び、そこに特に力を注いだ結果、解釈のすべてが漢流の理屈になってしまったと批判している。資料の形式が、その資料から読み取れる内容を歪めるという指摘であり、史料批判の発想に近い。翻訳や要約を通して情報を得るとき、その通し方自体が内容に何を加えているか。この問いは今も有効である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
日本書紀史料批判漢文潤色読解法
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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うひ山ぶみ・第三十九段さて又漢籍をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、万の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、
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うひ山ぶみ・第三十段又件の史どもの中に、御世々々の宣命には、ふるき意詞ののこりたれば、殊に心をつけて見るべし、
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うひ山ぶみ・第二十二段此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、
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うひ山ぶみ・第四十段但しからぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるゝことぞ、此心得肝要也、
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うひ山ぶみ・第二十五段さてかの二典の内につきても、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし、