うひ山ぶみ / 第二十四段
又件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬ衞にもよかるべき也、道を學ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を、淸く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし、
新字:又件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬ衛にもよかるべき也、道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし、
書き下し
又件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬ衛にもよかるべき也、道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし、
現代語訳
また、これらの書物を早くから読めば、大和魂がよく固まって、漢意に落ち込まないための備えとしてもよいだろう。道を学ぼうと志す人々は、第一に漢意・儒意を清くすすぎ去って、大和魂を固くすることを要としなければならない。
解説
「漢意(からごころ)」とは、中国渡来の書物に染まった思考の型を指す宣長の用語である。宣長は奥の注で「ゆゑなくみだりに、これをにくみてにはあらず、大きに故ありていふ也」とわざわざ断り、理由をこう説明する。古の道の意味が明らかにならないのは、千年以上にわたって人の心の底に染みついた思考の癖に妨げられるからだ、と。つまり宣長が排するのは中国の人や文化そのものではなく、何事も善悪是非の理屈で割り切ろうとする思考法である。事実、宣長は後の段で「漢籍をもまじへよむべし」「漢籍を見るも、學問のために益おほし」と述べ、漢籍を読むこと自体はむしろ勧めている。読む前に自分の土台を固めておけ、というのがこの一段の主旨である。現代でも、ある分野の用語や枠組みを無自覚に借りると、対象がその枠に合う形にねじ曲がって見えることがある。借り物の枠組みで考えていないかを点検せよという方法論として読むとき、この一段は今も有効である。
この章句が説くこと
漢意大和魂思考の枠組み学問の方法古学本居宣長
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