うひ山ぶみ / 第三十四段
凡て件の書ども、かならずしも次第を定めてよむにも及ばず、たゞ便にまかせて、次第にかゝはらず、これをもかれをも見るべし、
書き下し
凡て件の書ども、かならずしも次第を定めてよむにも及ばず、たゞ便にまかせて、次第にかゝはらず、これをもかれをも見るべし、
現代語訳
総じてこれらの書物は、必ずしも順序を定めて読むには及ばない。ただ都合に任せて、順序にこだわらず、あれもこれも見るべきである。
解説
読む順序をあれこれ示してきた宣長が、ここで順序へのこだわりを解く。都合に任せて、順序を気にせず、あれもこれも読め、と。前段までの指示は、取りつく先がない人への手がかりであって、守らなければならない規則ではない。この緩め方は、書の前半で学び方は本人の心に任せてよいと述べたことと一貫している。手順を示しつつ、その手順に縛られるなと言い添える。順序を完璧に整えてから始めようとして、いつまでも始まらない。この落とし穴を宣長は知っていたのだろう。

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『大和俗訓』巻之七・躬行下一今日は明日の計をなし、今月は来月の計をなし、今年は来年の計をなし、平生は一生の計をなし、生前に早く死後の計をなすべし。おこたるべからず。一明日行ふべき事あらば、必今日より其事を思ひはかりて定むべし。明朝使をつかはし、文をおくらんと思はば、今夕より書きととのへて、使を命ずべし。其日の事を其日はじめて思案しいとなめば、はかゆかず、事にのぞみて、或はさまたげ出来、まぎらはしくて過多し。
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