学問のすゝめ / 十四編・心事の棚卸し・十年前に企てたることを今すでに成したり
また世間に事を企つる人の言を聞くに、「生涯のうち」または「十年のうちにこれを成す」と言う者はもっとも多く、「三年のうち」、「一年のうちに」と言う者はやや少なく、「一月のうち」、あるいは「今日この事を企てて今まさにこれを行なう」と言う者はほとんどまれにして、「十年前に企てたることを今すでに成したり」と言うがごときは余輩いまだその人を見ず。かくのごとく、期限の長き未来を言うときにはたいそうなることを企つるようなれども、その期限ようやく近くして今月今日と迫るに従いて、明らかにその企ての次第を述ぶること能わざるは、畢竟ことを企つるに当たりて時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。
書き下し
また世間に事を企つる人の言を聞くに、「生涯のうち」または「十年のうちにこれを成す」と言う者はもっとも多く、「三年のうち」、「一年のうちに」と言う者はやや少なく、「一月のうち」、あるいは「今日この事を企てて今まさにこれを行なう」と言う者はほとんどまれにして、「十年前に企てたることを今すでに成したり」と言うがごときは余輩いまだその人を見ず。かくのごとく、期限の長き未来を言うときにはたいそうなることを企つるようなれども、その期限ようやく近くして今月今日と迫るに従いて、明らかにその企ての次第を述ぶること能わざるは、畢竟ことを企つるに当たりて時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。
現代語訳
また世間で事を企てる人の言葉を聞くと、生涯のうちに、または十年のうちにこれを成す、と言う者が最も多く、三年のうちに、一年のうちに、と言う者はやや少なく、一月のうちに、あるいは今日この事を企てて今まさにこれを行う、と言う者はほとんどまれで、十年前に企てたことを今すでに成した、と言うような人を私はまだ見たことがありません。このように、期限の長い未来を言うときには大層なことを企てるようですが、その期限が次第に近づいて今月今日と迫るにつれて、はっきりとその企ての次第を述べられないのは、結局、事を企てるにあたって日数の長短を計算に入れないことから生じる不都合です。
解説

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