うひ山ぶみ / 第一段
世に物まなびのすぢ、しなじな有て、一トやうならず、そのしなじなをいはば、まづ神代紀をむねとたてて、道をもはらと學ぶ有リ、これを神學といひ、其人を神道者といふ、又官職儀式律令などを、むねとして學ぶあり、又もろもろの故實、裝束調度などの事を、むねと學ぶあり、これらを有識の學といふ、
新字:世に物まなびのすぢ、しなじな有て、一トやうならず、そのしなじなをいはば、まづ神代紀をむねとたてて、道をもはらと学ぶ有リ、これを神学といひ、其人を神道者といふ、又官職儀式律令などを、むねとして学ぶあり、又もろもろの故実、装束調度などの事を、むねと学ぶあり、これらを有識の学といふ、
書き下し
世に物まなびのすぢ、しなじな有て、一トやうならず、そのしなじなをいはば、まづ神代紀をむねとたてて、道をもはらと学ぶ有リ、これを神学といひ、其人を神道者といふ、又官職儀式律令などを、むねとして学ぶあり、又もろもろの故実、装束調度などの事を、むねと学ぶあり、これらを有識の学といふ、
現代語訳
世の中の学問には、いろいろな分野があって一様ではない。その分野を挙げるなら、まず『日本書紀』の神代の巻を主軸に据えて、道をもっぱら学ぶものがある。これを神学といい、その人を神道者という。また、官職・儀式・律令などを主として学ぶものがある。また、さまざまな故実や、装束・調度などの事柄を主として学ぶものがある。これらを有識の学という。
解説
『うひ山ぶみ』は寛政十年(一七九八)、宣長六十九歳の作である。三十五年をかけた『古事記伝』を書き終えた年に、門人たちの再三の求めに応じて書かれた学問の入門書で、書名は「初めて山に分け入る」の意にあたる。その冒頭で宣長がまず行うのは、教えを説くことではなく、当時の学問にどんな分野があるかを並べて見せることである。神学、有識の学と分類を示したうえで、どれを選ぶかは学ぶ本人に任せるという流れに入っていく。地図を先に渡し、道を選ぶのは本人だという構えである。なお宣長は奥の注で、自国の学問をわざわざ「和学」「国学」と呼ぶのは自分の国を外側に置く言い方だと述べ、単に「学問」と呼べばよいと主張している。何かを学び始めるとき、いきなり一冊目を開くのではなく、その領域にどんな流派や方法があるのかを俯瞰しておく。この順序は今も変わらない。
この章句が説くこと
学問分野入門全体像神道有識の学
関連する章句
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
論語 為政篇子曰、攻乎異端、斯害也已。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。