うひ山ぶみ / 第二段
又上は六國史其外の古書をはじめ、後世の書共まで、いづれのすぢによるともなくて、まなぶもあり、此すぢの中にも、猶分ていはば、しなじな有べし、
新字:又上は六国史其外の古書をはじめ、後世の書共まで、いづれのすぢによるともなくて、まなぶもあり、此すぢの中にも、猶分ていはば、しなじな有べし、
書き下し
又上は六国史其外の古書をはじめ、後世の書共まで、いづれのすぢによるともなくて、まなぶもあり、此すぢの中にも、猶分ていはば、しなじな有べし、
現代語訳
また、上は六国史やそのほかの古書をはじめ、後世の書物まで、どの分野によるということもなく学ぶ者もある。この筋の中にも、なお細かく分ければ、さまざまな種類があるだろう。
解説
前段で神学・有識の学を挙げたのに続いて、特定の分野に属さず古書全般を広く読む学び方を挙げる。宣長の分類は、体系的に整理された学問の見取り図ではなく、当時実際に行われていた学びの形を並べたものである。「なお細かく分ければさまざまあるだろう」と言い添えるあたりに、分類を精密にすること自体が目的ではないという構えが出ている。境界を厳密に定めるより、どんな学び方が現に存在するかを見せることを優先している。現代でも、学びの世界は資格や学問領域できれいに区切れるものではなく、どこにも属さない読み方をしている人は多い。宣長はそれも一つの筋として数えている。

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学問分野古書六国史読書分類
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『幽夢影』巻上・入聲の屬すべき所「屋」「沃」の内の「禿」「獨」「鵠」「束」等の字の如きは、乃ち「魚」「虞」の韻の内の「都」「圖」等の字の入聲なり。「卜」「木」「六」「僕」等の字は、乃ち五「歌」部の入聲なり。「玉」「菊」「獄」「育」等の字は、乃ち「尤」部の入聲なり。三「覺」・十「藥」は、當に「蕭」「肴」「豪」に屬すべし。「質」「錫」「職」「緝」は、當に「支」「微」「齊」に屬すべし。「質」の内の「橘」「卒」、「物」の内の「鬱」「屈」は、當に「虞」「魚」に屬すべし。「物」の内の「勿」「物」等の音は、平上去無き者なり。「訖」「乞」等は、四「支」の入聲なり。「陌」部は乃ち「佳」「灰」の半ば、「開」「來」等の字の入聲なり。「月」部の「月」「厥」「謁」等及び「屑」「葉」の二部は、古は平上去無く、而して今は則ち中州韻の内の「車」「遮」諸字の入聲爲り。「伐」「髮」等の字及び「曷」部の「括」「适」及び八「黠」の全部、又十五「合」の内の諸字、又十七「洽」の全部は、皆六「麻」の入聲なり。「曷」の内の「撮」「闊」等の字、「合」部の「合」「盒」の數字は、皆平上去無き者なり。若し「緝」「合」「葉」「洽」を以て閉口韻と爲さば、則ち止だ當に之を平上去無きの寡婦と謂ふべくして、當に之を調ふるに「侵」「寢」「緝」、「咸」「喊」「陷」「洽」を以てすべからざるなり。)
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言志四録・言志晩録 第二十五条 学の次第と本体学に次第有るは、猶ほ弓を執り箭を挟み、引満して発するがごとし。直ちに本体を指すは、猶ほ懸くるに正鵠を以てし、必中を期するがごとし。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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