師導古典を学びたいすべての人に

うひ山ぶみ / 第二十三段

又初學の輩は、宣長が著したる、神代正語を、數十遍よみて、その古語のやうを、口なれしり、又直日のみたま、玉矛百首、玉くしげ、葛花などやうの物を、入學のはじめより、かの二典と相まじへてよむべし、然せば、二典の事跡に、道の具備はれることも、道の大むねも、大抵に合点ゆくべし、

新字:又初学の輩は、宣長が著したる、神代正語を、数十遍よみて、その古語のやうを、口なれしり、又直日のみたま、玉矛百首、玉くしげ、葛花などやうの物を、入学のはじめより、かの二典と相まじへてよむべし、然せば、二典の事跡に、道の具備はれることも、道の大むねも、大抵に合点ゆくべし、

書き下し

又初学の輩は、宣長が著したる、神代正語を、数十遍よみて、その古語のやうを、口なれしり、又直日のみたま、玉矛百首、玉くしげ、葛花などやうの物を、入学のはじめより、かの二典と相まじへてよむべし、然せば、二典の事跡に、道の具備はれることも、道の大むねも、大抵に合点ゆくべし、

現代語訳

また初学の人々は、宣長が著した『神代正語』を数十遍読んで、その古語のありようを口に慣らして知り、また『直毘霊』『玉鉾百首』『玉くしげ』『葛花』などのものを、入門のはじめからあの二典と混ぜて読むべきである。そうすれば、二典の事跡に道が備わっていることも、道の大要も、おおよそ納得がいくだろう。

解説

自分の著書を読めと勧める段である。宣長自身、これが手前味噌に見えることを自覚しており、奥の注で釈明している。既存の注釈書は仏教・儒教の意味に寄っていて古の意にかなわず、かえって道を害するばかりである。かといって初学者が原典だけを見ても道の趣は容易に会得できない。だから自分の書を挙げるほかないのだ、と。そのうえで、大言を吐いていると思う人もあろうが、悪く言われるのを憚って考えを述べないのはかえって初学者に不誠実だ、と書く。批判される可能性を計算したうえで、それでも必要と判断したことを言う。専門家が入門者に何を勧めるかという問題として読める。

この章句が説くこと

入門書神代正語誠実さ批判古学

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる