うひ山ぶみ / 第十九段
一人の生涯の力を以ては、ことごとくは、其奥までは究めがたきわざなれば、其中に主としてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより志を高く大にたてて、つとめ學ぶべき也、
新字:一人の生涯の力を以ては、ことごとくは、其奥までは究めがたきわざなれば、其中に主としてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより志を高く大にたてて、つとめ学ぶべき也、
書き下し
一人の生涯の力を以ては、ことごとくは、其奥までは究めがたきわざなれば、其中に主としてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより志を高く大にたてて、つとめ学ぶべき也、
現代語訳
一人の生涯の力では、すべてを奥まで究めることは難しいわざだから、その中で主としてよるところを定めて、必ずその奥を究め尽くそうと、はじめから志を高く大きく立てて、努め学ぶべきである。
解説
有限性から出発して、集中と高い志という二つを同時に導く。一生では全部はできない。だから主軸を一つ決めよ。そのうえで、その一つは必ず奥まで究め尽くすと、はじめから高く大きく志を立てよ、と。奥の注はここに一言を加える。「此志よわくては、學問すゝみがたく、倦怠るもの也」——志が弱ければ学問は進まず、飽きて怠るものだ、と。絞ることと志を下げることは違う、というのが宣長の立場である。範囲を狭めるのは、その分だけ深く行くためであって、要求水準を下げるためではない。
この章句が説くこと
志集中有限性専門継続
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