うひ山ぶみ / 第十八段
そはまつかのしなじなある學びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、學ばまほしきわざなれども、
新字:そはまつかのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、学ばまほしきわざなれども、
書き下し
そはまつかのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、学ばまほしきわざなれども、
現代語訳
それはまず、あの多様な学びの筋のどれもこれも、なくてはならない筋であって、明らかに知らなければならないことだから、どれも残さず学びたいものではあるけれども、
解説
具体的な指示に入る最初の一歩は、理想の確認である。挙げてきた分野はどれも欠かせず、本来はすべて学びたい、と。奥の注では、律令・官職儀式・装束調度といった分野それぞれについて、どの書から入りどこに注意すべきかを具体的に述べており、宣長がこれらを軽んじていないことが分かる。しかしこの段は「けれども」で終わる。次の段で、一人の生涯では全部は極められないという現実が来る。理想を先に置き、そのうえで限界を認めるという順序が、この後の「一つに絞れ」という主張を単なる妥協ではないものにしている。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
学問の全体理想限界優先順位絞り込み
関連する章句
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自警録・第二十六章 理想の実現は何処・理想は所在に現れる(2)理想があれば手なり足なりに現れる。かの椅子に坐らなければ理想が行われぬというは、下手な職人が道具をならべると同じである。こういう職人は道具の善悪をならべ立てるが、いずれを使っても仕事が下手なことはわれわれがつねに目撃している。ゆえに理想があるなら、つねにここが理想を実行するところだという考えをもてば、理想の実現せられぬところはない。泥棒するの罪悪なることは誰でも知っているが、人が見ていないところにものが落ちていると、十に七、八人までは持っていってもよいか知らという気が起きる。盗む気はなくとも欲しい気はある。両者は行為に現れたときは大いに接近している。 聖書に「人を憎むは人を殺すなり」という意味が書いてある。人を憎むのは、機会があれば殺すという行為に現れやすい。彼奴は嫌な奴だ、早く死ねばよいということと、社会になんの制裁もなければ、一歩を進めてみずから手を下すということとははなはだ近接している。ものが欲しいというのと、見る人がなければ拾うということは遠くとも従兄弟同士ぐらいである。欲しがる人が拾わぬというは、世の中に制裁があるからである。 この場合にかねて承知の道心を起こしてここだなという考えをもてば、はじめて落ちた物を拾わないりっぱな人物が出てくる。あるいは拾ってもちぬしを探して、返すごとき人物となる。先年もある青年が婦人の誘惑に陥らんとしたとき、かねて聞いていたことは「ここだな」と思い、ついに危険を脱したということを手紙で通知してきた。青年はみな理想をもっているが、卑近な小さなことにまで翻訳して始めて理想の理想たるところが現れ、かつまた高くなり強くなるものである。これは少しでも実験ある人のみな感ずるところで、僕のように達しないものでも、これを適切に感じたことが二、三度ある。
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『呻吟語』内篇・修身・身は嚴重、意は安定身は嚴重ならんことを要し、意は安定ならんことを要し、色は溫雅ならんことを要し、氣は和平ならんことを要し、語は簡切ならんことを要し、心は慈祥ならんことを要し、志は果毅ならんことを要し、機は縝密ならんことを要す。
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論語・泰伯篇孔子曰わく、大なるかな堯の君たるや!巍巍(ぎぎ)たり。唯天のみ大なり、唯堯これに則る。蕩蕩(とうとう)たり。民能く名づくること無し。巍巍たり。その成功有り。煥(かん)たり、その文章有り。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持て戦争して負けては困るが、ただ国力を挙げて戦争にのみ奔るということは王道に適するものではない。今日の時局に対して我々はそのような事まで心配せぬでもよい訳であるが、これから先の商工業はいかにしたらよかろうか、平和が克復したらその後の実業界はいかになるかというような事については、意想外なる変化を生じて、中には悪いと思ったことが善くなり、善いと思うたことが悪くもなろうから、今日から臆断は出来ない。しかし人は未来の事に向かってぜひとも理想は持つべきものであるから、たとい違却するとも一定の主義によって行うというようなことが無ければならぬ。つまりよく思いつまびらかに考えて事に当たれば、必ず過ちは少ないものである。戦争のごとき事変の勃発には、かつて想像したものに違却を生ずることはあるが。
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自警録・第二十六章 理想の実現は何処・理想を行為に翻訳するが人生理想は何人でも、活きている者は必ずもっている。またこれがその生命である。耶蘇教で教えているとおり、「人はパンのみにて生くるものにあらず」。 人はなんで活きているかというに、理想で活きている。ただ呼吸するだけならパンだけでもよい、パンでなくとも、握飯でも麦飯でもよいけれども、この世に生きている甲斐には、なにか理想がなくてはならぬ。前の犬のごとくなにか前にぶらさがっているものを得ようと思うから動くのである。われわれのすべての働きは理想を実現せんためで、理想なしにぶらぶら流れのまにまに活きていることは存在するというだけで、人間の生活をしているとは言いがたい。ことばを換えていえば、人間の生活なるものは理想を実地に翻訳することになりはせぬか。 理想という原語を行為に翻訳するのである。わからぬ外国語をわかるような言葉に換えることを翻訳というと同じく、もやもやしており、あるいははっきりしても形のない思想を、実際の言行に現すのである。これが人生というものではないかと思う。
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『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・実に極楽の有様を模写したるがごとしかく人民を子供のごとく、牛羊のごとく取り扱うといえども、前段にも言えるとおり、そのはじめの本意は必ずしも悪念にあらず、かの実の父母が実の子供を養うがごとき趣向にて、第一番に国君を聖明なるものと定め、賢良方正の士を挙げてこれを輔け、一片の私心なく半点の我欲なく、清きこと水のごとく、直きこと矢のごとく、己が心を推して人に及ぼし、民を撫するに情愛を主とし、饑饉には米を給し、火事には銭を与え、扶助救育して衣食住の安楽を得せしめ、上の徳化は南風の薫ずるがごとく、民のこれに従うは草の靡くがごとく、その柔らかなるは綿のごとく、その無心なるは木石のごとく、上下合体ともに太平を謡わんとするの目論見ならん。実に極楽の有様を模写したるがごとし。