論語 / 子罕篇
子曰:「鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫!」
新字:子曰:「鳳鳥不至,河不出図,吾已矣夫!」
書き下し
子曰く、鳳鳥至らず、河図を出ださず。吾已んぬるかな。
現代語訳
先生がおっしゃった。「鳳凰も飛来しない、黄河から図も出ない。私はもうこれまでだ。」
解説
鳳凰の飛来も河図の出現も、聖王の世が来る前兆とされた。それが現れないということは、自分が待った世は来ないということである。生涯をかけた志が実らないと悟った、率直な嘆きだ。孔子でも、こういう言葉を残している。理想を掲げて生きる人が必ず通る場所であり、隠す必要のない感情でもある。ここで大事なのは、この嘆きの後も孔子が教え続けたことである。已んぬるかな、と言ったのは、自分の代での実現についてだった。実現を諦めたことと、続けることは矛盾しない。むしろ、自分の代では無理だと認めたところから、次の世代に渡すという仕事が始まる。長期の事業を担う人にとって、この二段構えは現実的な支えになる。
この章句が説くこと
嘆き理想世代継続諦観
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