うひ山ぶみ / 第十五段
されば才のともしきや、學ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出來るものと心得べし、すべて思ひくづをるゝは、學問に大にきらふ事ぞかし、
新字:されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし、すべて思ひくづをるゝは、学問に大にきらふ事ぞかし、
書き下し
されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし、すべて思ひくづをるゝは、学問に大にきらふ事ぞかし、
現代語訳
だから、才能が乏しいとか、学び始めるのが遅かったとか、暇がないとかいった理由で、気落ちして途中でやめてしまってはならない。どうであっても、努めさえすればできるようになるものだと心得るがよい。総じて気落ちすることこそ、学問が大いに嫌うことなのである。
解説
才能がない、始めるのが遅かった、時間がない。学びが続かない理由として持ち出されがちな三つを、宣長はここで名指しして退けている。直前の段で宣長は、才能の差は生まれつきのものだから力の及ぶところではないと正面から認めている。そのうえで、それでも怠らず努めれば才能の乏しい人にもそれだけの成果はあり、晩学の人も、暇のない人も、かえって暇の多い人より成果を挙げることがあると述べる。その結論がこの一段である。条件の不利を否定してみせるのではなく、条件を理由に自分から降りることを禁じている点に、この言葉の強さがある。気落ちという内側の動きこそが最大の敵だという見立ては、学びに限らず、長く続ける必要のある仕事すべてに当てはまる。
この章句が説くこと
継続才能晩学気落ち努力学問
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