うひ山ぶみ / 第十四段
されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩學の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、
新字:されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、
書き下し
されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、
現代語訳
けれどもおおむね、才の乏しい人であっても、怠らず努めさえすれば、それだけの成果はあるものである。また晩学の人も、努め励めば、思いのほか成果を上げることがある。また暇のない人も、思いのほか、暇の多い人より成果を上げるものである。
解説
才能・年齢・時間という三つの不利を、順に打ち消していく。才が乏しくても努めた分の成果はある。学び始めが遅くても成果は出る。そして暇のない人のほうが、かえって暇の多い人より成果を上げる、と。最後の一つは経験則としても鋭い。時間が限られているほうが集中が生まれるという指摘は、現代の時間管理でもよく言われることである。宣長自身、松阪で医業を営みながら夜に講義と著述を続けた人であり、暇のない人の実感としてこれを書いている。次の段で、この三つを理由に気落ちするなという結論が来る。
この章句が説くこと
晩学継続多忙努力時間成果
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「梓匠・輪輿は、能く人に規矩を與うるも、人をして巧みならしむること能わず。」
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説苑・建本梁丘拠、晏子に謂いて曰わく、「吾死に至るまで夫子に及ばじ」と。晏子曰わく、「嬰之を聞く、為す者は常に成り、行く者は常に至ると。嬰人に異なる有るに非ざるなり、常に為して置かず、常に行きて休まざる者なり。故に及び難きなり」と。
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葉隠・聞書第二時代と共に人の器量も下(くだ)る、一(ひと)精出せば図抜(ずぬ)けて御用に立つ。時代と共に人の器量も下る、一精出せば図抜けて御用に立つべし。未来記(みらいき)などと云うも、あまり替りたる事あるまじ。今時(いまどき)御用に立つ衆、十五年過ぐれば一人もなし。今の若手の衆が打って出ても、半分だけにてもあるまじ。段々下り来り、皆人(みなひと)気短(きみじか)か故に、大事をなさず仕損ずる事あり。何時(いつ)までもと(=じっくり)さえ思えば、しかも早く成るものなり。時節がより来るものなり。今十五年先を考えて見給え。さても世間違うべし。金払底(きんふってい)すれば銀が宝となり、銀が払底すれば銅が宝となるが如し。時節相応に人の器量も下り行く事なれば、一精出し候わば、ちょうど御用に立つ事なり。十五年などは夢の間なり。身養生(みようじょう)さえして居れば、しまり本意(ほんい)を達し御用に立つ事なり。名人多き時分こそ、骨を折る事なれ。世間一統(いっとう)に下り行く時代なれば、其の中にて抜け出づるは安(やす)き事なり。