うひ山ぶみ / 第七段
同じく精力を用ひながらも、そのすぢそのまなびやうによりて、得失あるべきこと也、
書き下し
同じく精力を用ひながらも、そのすぢそのまなびやうによりて、得失あるべきこと也、
現代語訳
同じだけの労力を使いながらも、その分野やその学び方によって、得るものと失うものの差が出るのである。
解説
短い一文だが、この書の前提を言い切っている。投じる労力が同じでも、何をどう学ぶかで結果は変わる。だから始める前に整えよ、というのが直前からの流れである。宣長がこう言えるのは、自身が三十五年を『古事記伝』一つに注ぎ込んだ人だからでもある。労力は有限で、しかも取り返しがつかない。奥の注でも、律令の学問は中国の書物にも力を割かねばならないぶん「功の費も多き也」と、分野ごとの負担の差を具体的に述べている。時間と集中力をどこに置くかという配分の問題として学問を見ている点で、現代の時間管理の議論とも通じている。
この章句が説くこと
労力選択効率得失時間配分
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「以て取る可く、以て取る無かる可し。取れば廉を傷つく。以て與う可く、以て與うる無かる可し。與うれば惠を傷つく。以て死す可く、以て死する無かる可し。死すれば勇を傷つく。」
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うひ山ぶみ・第八段然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
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孫子・行軍篇之を令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是を必取と謂う。
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孟子・告子章句上孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」
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老子 第80章小国寡民。什伯の器有りといえどもこれを用いず。
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老子 第48章学を為すは日に益し、道を為すは日に損す。これを損してまた損して無為に至る。無為にして為さざる無し。