うひ山ぶみ / 第五段
かくて學問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その學びやうも、みづからはからふも有ルを、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよからん、又うひ學ヒの輩のまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、問ヒ求むる、これつねの事なるが、
新字:かくて学問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その学びやうも、みづからはからふも有ルを、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよからん、又うひ学ヒの輩のまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、問ヒ求むる、これつねの事なるが、
書き下し
かくて学問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その学びやうも、みづからはからふも有ルを、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよからん、又うひ学ヒの輩のまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、問ヒ求むる、これつねの事なるが、
現代語訳
こうして学問を志して入り始める人には、はじめから自分で心を寄せる分野があり、学び方も自分で判断する者もいる。一方、これといって心を寄せる分野もなく、学び方も自分では決めかねる人は、物知りの人について、どの分野に入るのがよいか、また初学の者の学び方はどの書物から先に見るべきかなどと、問い求める。これは世の常のことであるが、
解説
学び始める人を二種類に分ける。自分で決められる人と、決められないので人に聞く人である。宣長は後者を責めない。「これつねの事なるが」と、ごく普通のことだと受け止めたうえで、次の段でその問いに答える意義を認めていく。『うひ山ぶみ』という書物そのものが、この「問い求める」声に応じて書かれたものであることを思えば、ここは自分の読者を名指ししている箇所でもある。何を学ぶか決められないまま、とりあえず人に聞く。その状態を欠陥ではなく出発点として扱っているところに、この入門書の姿勢が表れている。
この章句が説くこと
初学学問の入口師に問う進路入門
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うひ山ぶみ・第四段大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
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うひ山ぶみ・第十六段さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
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うひ山ぶみ・第六段まことに然あるべきことにて、その学のしなを正し、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落チざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也、
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うひ山ぶみ・第十一段又いづれのしなにもせよ、学びやうの次第も、一トわたりの理によりて、云々してよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果してよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、実にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はたゞ其人の心まかせにしてよき也、