うひ山ぶみ / 第四段
大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその學びやうの法も、敎ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
新字:大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
書き下し
大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
現代語訳
おおよそ以上のような分野があって、それぞれが好む筋によって学ぶのだが、その学び方の作法もまた、教える師それぞれの考え、学ぶ人それぞれの考えによって、さまざまである。
解説
分野が多様なだけでなく、同じ分野でも師によって、学ぶ人によってやり方が違うと指摘する。ここで宣長は、学び方に唯一の正解があるという前提を早々に崩している。この後の展開はすべてこの認識の上に立っており、宣長は自分の示す方法についてさえ「たゞ己が敎ヘによらんと思はん人のためにいふのみ也」と限定をつけることになる。方法を一つに定めないのは、いい加減さではなく、方法の効き目が人によって変わるという観察から来ている。現代でも、他人にとって最適な学習法が自分に合うとは限らない。まず自分と相手の条件が違うと認めるところから始まる。
この章句が説くこと
学び方師個人差方法論教育
関連する章句
-
うひ山ぶみ・第十一段又いづれのしなにもせよ、学びやうの次第も、一トわたりの理によりて、云々してよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果してよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、実にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はたゞ其人の心まかせにしてよき也、
-
うひ山ぶみ・第十六段さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
-
うひ山ぶみ・第八段然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
-
うひ山ぶみ・第十七段然れどもその教へかたも、又人の心々なれば、吾はかやうにてよかるべき歟と思へども、さてはわろしと思ふ人も有べきなれば、しひていふにはあらず、たゞ己が教ヘによらんと思はん人のためにいふのみ也、
-
うひ山ぶみ・第五段かくて学問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その学びやうも、みづからはからふも有ルを、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよからん、又うひ学ヒの輩のまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、問ヒ求むる、これつねの事なるが、
-
うひ山ぶみ・第十二段詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、