うひ山ぶみ / 第四段
大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその學びやうの法も、敎ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
新字:大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
書き下し
大かた件のしなじな有て、おのおの好むすぢによりてまなぶに、又おのおのその学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さまざまあり、
現代語訳
おおよそ以上のような分野があって、それぞれが好む筋によって学ぶのだが、その学び方の作法もまた、教える師それぞれの考え、学ぶ人それぞれの考えによって、さまざまである。
解説
分野が多様なだけでなく、同じ分野でも師によって、学ぶ人によってやり方が違うと指摘する。ここで宣長は、学び方に唯一の正解があるという前提を早々に崩している。この後の展開はすべてこの認識の上に立っており、宣長は自分の示す方法についてさえ「たゞ己が敎ヘによらんと思はん人のためにいふのみ也」と限定をつけることになる。方法を一つに定めないのは、いい加減さではなく、方法の効き目が人によって変わるという観察から来ている。現代でも、他人にとって最適な学習法が自分に合うとは限らない。まず自分と相手の条件が違うと認めるところから始まる。
この章句が説くこと
学び方師個人差方法論教育