うひ山ぶみ / 注[ノ]又後世風をもすてずして
古人のよみふるさぬおもむきを、よみ出んとするには、おのづから世々に、そのさま變ぜではかなはず、次第にたくみもこまやかにふかくなりゆかではかなはぬだうり也、古人の多くよみたる事を、同じさまによみたらんには、其哥よしとても、人も神も感じ給ふことあるべからず、もし又古「によみふるさぬ事を、一ふしめずらしく、萬葉風にてよまんとせば、いやしくあしき哥になりぬべし、かの集の哥すらさやうなれば、まして今の世をや、此事猶一ツのたとへを以ていはん、古風は白妙衣のごとく、後世風は、くれなゐ紫いろいろ染たる衣のごとし、白妙衣は、白たへにしてめでたきを、染衣も、その染色によりて、又とりどりにめでたし、然るを白妙めでたしとて、染たるをば、ひたぶるにわろしとすべきにあらず、たゞその染たる色には、よきもありあしきもあれば、そのあしきをこそ棄ツべきなれ、色よきをも、おしこめてすてんは、偏ならずや、今の古風家の論は、紅紫などは、いかほど色よくても、白妙に似ざれば、みなわろしといはんが如し、
新字:古人のよみふるさぬおもむきを、よみ出んとするには、おのづから世々に、そのさま変ぜではかなはず、次第にたくみもこまやかにふかくなりゆかではかなはぬだうり也、古人の多くよみたる事を、同じさまによみたらんには、其歌よしとても、人も神も感じ給ふことあるべからず、もし又古「によみふるさぬ事を、一ふしめずらしく、万葉風にてよまんとせば、いやしくあしき歌になりぬべし、かの集の歌すらさやうなれば、まして今の世をや、此事猶一ツのたとへを以ていはん、古風は白妙衣のごとく、後世風は、くれなゐ紫いろいろ染たる衣のごとし、白妙衣は、白たへにしてめでたきを、染衣も、その染色によりて、又とりどりにめでたし、然るを白妙めでたしとて、染たるをば、ひたぶるにわろしとすべきにあらず、たゞその染たる色には、よきもありあしきもあれば、そのあしきをこそ棄ツべきなれ、色よきをも、おしこめてすてんは、偏ならずや、今の古風家の論は、紅紫などは、いかほど色よくても、白妙に似ざれば、みなわろしといはんが如し、
書き下し
古人のよみふるさぬおもむきを、よみ出んとするには、おのづから世々に、そのさま変ぜではかなはず、次第にたくみもこまやかにふかくなりゆかではかなはぬだうり也、古人の多くよみたる事を、同じさまによみたらんには、其歌よしとても、人も神も感じ給ふことあるべからず、もし又古ヘによみふるさぬ事を、一ふしめずらしく、万葉風にてよまんとせば、いやしくあしき歌になりぬべし、かの集の歌すらさやうなれば、まして今の世をや、此事猶一ツのたとへを以ていはん、古風は白妙衣のごとく、後世風は、くれなゐ紫いろいろ染たる衣のごとし、白妙衣は、白たへにしてめでたきを、染衣も、その染色によりて、又とりどりにめでたし、然るを白妙めでたしとて、染たるをば、ひたぶるにわろしとすべきにあらず、たゞその染たる色には、よきもありあしきもあれば、そのあしきをこそ棄ツべきなれ、色よきをも、おしこめてすてんは、偏ならずや、今の古風家の論は、紅紫などは、いかほど色よくても、白妙に似ざれば、みなわろしといはんが如し、
現代語訳
古人が詠み古していない趣を詠み出そうとするには、おのずから時代時代にその様子が変わらなくては済まず、次第に技巧も細やかに深くなってゆかなくては済まない道理である。古人が多く詠んだ事を同じように詠んだならば、その歌が良くても、人も神も感じなさることはあるまい。もしまた、古に詠み古していない事を、一節珍しく万葉風で詠もうとすれば、卑しく悪い歌になってしまうだろう。あの集の歌でさえそうなのだから、まして今の世ではなおさらだ。この事をさらに一つのたとえで言おう。古風は白妙の衣(白い布の衣)のようであり、後世風は紅や紫などいろいろに染めた衣のようである。白妙の衣は白くてすばらしいが、染めた衣もその染め色によって、またそれぞれにすばらしい。それなのに白妙がすばらしいからといって、染めたものをひたすら悪いとすべきではない。ただその染めた色には良いものも悪いものもあるので、その悪いものをこそ捨てるべきなのである。色の良いものまでひとまとめに捨てるのは、偏ったことではないか。今の古風家の論は、紅や紫などは、どれほど色が良くても、白妙に似ていないからみな悪いと言うようなものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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うひ山ぶみ・第四十六段さて又歌には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古学の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又後世風をも、棄ずしてならひよむべし、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずして万葉風のみにては、よみとりがたき事など多き故に、やうやうと後世風の意詞をも、まじへよむほどに、いつしか後世風にちかくなりゆきて、なほをりをりは、ふるめきたる事もまじりて、さすがに全くの後世風にもあらず、しかも又古今集のふりにもあらず、おのづから別に一風なるも多きぞかし、これ古風のみにては、事たらざるところのあるゆゑなり、すべて後世風をもよまではえあらぬよしを、なほいはば、まづ万葉の歌を見るに、やすらかにすがたよきは、其趣いづれもいづれも、似たる事のみ多く、よめる意大抵定まれるが如くにて、或は下ノ句全く同じき歌などもおほく、すべて同じやうなる歌いと多し、まれまれにめづらしき事をよめるは、多くはいやしげにて、歌ざまよろしからず、然るを万葉の後今の世まで、千余年を経たる間ダ、歌よむ人、みなみな万葉風をのみ守りて変ぜずして、しかもよき歌をよまんとせば、皆万葉なる歌の口まねをするやうにのみ出来て、外によむべき事なくして、新タによめる詮なかるべし、されば世々を経て、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずしてよくこゝろみ、深く味ひしりて、然いふにはあらず、たゞ一わたりの理にまかせて、万の事、古ヘはよし、後世はわろしと、定めおきて、おしこめてそらづもりにいふのみ也、又古と後世との歌の善悪を、世の治乱盛衰に係ていふも、一わたりの理論にして、事実にはうときこと也、いと上代の歌のごとく、実情のまゝをよみいでばこそ、さることわりもあらめ、後世の歌は、みなつくりまうけてよむことなれば、たとひ治世の人なりとも、あしき風を学びてよまば、其歌あしかるべく、乱世の人にても、よき風をまなばば、其歌などかあしからん、又男ぶり女ぶりのさだも、緊要にあらず、つよき歌よわき歌の事は、別にくはしく論ぜり、大かた此古風と後世と、よしあしの論は、いといと大事にて、さらにたやすくはさだめがたき、子細どもあることなるを、古学のともがら、深きわきまへもなく、かろがろしくたやすげに、これをさだめいふは、甚ダみだりなること也、そもそも古風家の、後世の歌をわろしとするところは、まづ歌は、思ふこゝろをいひのぶるわざなるに、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずして宣長もはら古学によりて、人にもこれを教へながら、みづからよむところの歌、古風のみにあらずして、後世風をも、おほくよむことを、心得ずと難ずる人多けれども、わが思ひとれるところは、上の件のごとくなる故に、後世風をも、すてずしてよむ也、其中に古風なるは数すくなくして、返て後世風なるが多きは、古風をよむべき事すくなく、後世風をよむ事おほきが故也、すべていにしへは、事すくなかりしを、後世になりゆくまにまに、万の事しげくなるとおなじ、さて吾は、古風後世風ならべよむうちに、古と後とをば、清くこれを分ちて、たがひに混雑なきやうにと、深く心がくる也、さて又初学の輩、わがをしへにしたがひて、古風後世風ともによまんとせんに、まづいづれを先キにすべきぞといふに、万の事、本をまづよくして後に、末に及ぶべきは、勿論のことなれども、又末よりさかのぼりて、本にいたるがよき事もある物にて、よく思ふに、歌も、まず後世風より入て、そを大抵得て後に、古風にかゝりてよき子細もあり、その子細を一ツ二ツいはば、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずして数おほくよまずはあるべからず、多くよむには、題なくはあるべからず、これらもおのづから然るべきいきほひ也、そもそも後世風、わろき事もあるは、勿論のこと也、然れどもわろき事をのみえり出て、わろくいはんには、古風の方にも、わろきことは有べし、一トむきに後世をのみ、いひおとすべきにあらず、後世風の歌の中にも、又いひしらずめでたくおもしろく、さらに古風にては、よみえがたき趣どもの有ルこと也、すべてもろもろの事の中には、古ヘよりも、後世のまされる事も、なきにあらざれば、ひたぶるに後世を悪しとすべきにもあらず、歌も、古ヘと後とを、くらべていはんには、たがひに勝劣ある中に、おのれ数十年よみこゝろみて、これを考るに、万葉の歌のよきが、ゆたかにすぐれたることは、勿論なれども、今の世に、それをまなびてよむには、猶たらはぬことあるを、世々を経て、やうやうにたらひて、備はれる也、さればこそ、今の世に古風をよむ輩も、初心のほどこそ、何のわきまへもなく、みだりによみちらせ、すこしわきまへも出来ては、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずして後世風をまづよみならひて、その法度のくはしきをしるときは、古風をよむにも、その心得有て、つゝしむ故に、あまりみだりなることはよまず、又古風は時代遠ければ、今の世の人、いかによくまなぶといへども、なほ今の世の人なれば、その心全く古人の情のごとくには、変化しがたければ、よみ出る歌、古風とおもへども、猶やゝもすれば、近き後世の意詞のまじりやすきもの也、すべて歌も文も、古風と後世とは、全体その差別なくてはかなはざるに、今の人の歌文は、とかく古と後と、混雑することをまぬかれざるを、後世風をまづよくしるときは、是は後世ぞといふことを、わきまへしる故に、その誤リすくなし、後世風をしらざれば、そのわきまへなき故に、返て後世に落ることおほきなり、すべて古風家、後世風をば、いみしく嫌ひながら、みづから後世風の混雑することをえしらざるは、をかしきこと也、古風をよむ人も、まづ後世風を学びて益あること、猶此外にも有也、古と後との差別をだによくわきまふるときは、後世風をよむも、害あることなし、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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