うひ山ぶみ / 注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべし
さればこそ師も、みづから古風の哥をよみ、古ぶりの文をつくれとは、敎へられたるなれ、文の事は、古文は、延喜式八の卷なる諸の祝詞、續紀の御世々々の宣命など、古語のまゝにのこれる文也、二典の中にも、をりをりは古語のまゝなる文有リ、其外の古書共にも、をりをりは古文まじれることあり、これかれをとりて、のりとすべし、万葉は哥にて、哥と文とは、詞の異なることなどあれども、哥と文との、詞づかひのけぢめを、よくわきまへえらびてとらば、哥の詞も、多くは文にも用ふべきものなれば、古文を作る學びにも、万葉はよく學ばでかなはぬ書也、なほ文をつくるべき學びかた、心得なども、古體近體、世々のさまなど、くさぐさいふべき事多くあれども、さのみはこゝにつくしがたし、大抵哥に准へても心得べし、そのうち文には、いろいろのしなあることにて、其品によりて、詞のつかひやう其外、すべての書「やう、かはれること多ければ、其心得有べし、いろいろのしなとは、序、或は論、或は紀事、或は消息など也、さて後世になりて、萬葉ぶりの哥を、
新字:さればこそ師も、みづから古風の歌をよみ、古ぶりの文をつくれとは、教へられたるなれ、文の事は、古文は、延喜式八の巻なる諸の祝詞、続紀の御世々々の宣命など、古語のまゝにのこれる文也、二典の中にも、をりをりは古語のまゝなる文有リ、其外の古書共にも、をりをりは古文まじれることあり、これかれをとりて、のりとすべし、万葉は歌にて、歌と文とは、詞の異なることなどあれども、歌と文との、詞づかひのけぢめを、よくわきまへえらびてとらば、歌の詞も、多くは文にも用ふべきものなれば、古文を作る学びにも、万葉はよく学ばでかなはぬ書也、なほ文をつくるべき学びかた、心得なども、古体近体、世々のさまなど、くさぐさいふべき事多くあれども、さのみはこゝにつくしがたし、大抵歌に准へても心得べし、そのうち文には、いろいろのしなあることにて、其品によりて、詞のつかひやう其外、すべての書「やう、かはれること多ければ、其心得有べし、いろいろのしなとは、序、或は論、或は紀事、或は消息など也、さて後世になりて、万葉ぶりの歌を、
書き下し
さればこそ師も、みづから古風の歌をよみ、古ぶりの文をつくれとは、教へられたるなれ、文の事は、古文は、延喜式八の巻なる諸の祝詞、続紀の御世々々の宣命など、古語のまゝにのこれる文也、二典の中にも、をりをりは古語のまゝなる文有リ、其外の古書共にも、をりをりは古文まじれることあり、これかれをとりて、のりとすべし、万葉は歌にて、歌と文とは、詞の異なることなどあれども、歌と文との、詞づかひのけぢめを、よくわきまへえらびてとらば、歌の詞も、多くは文にも用ふべきものなれば、古文を作る学びにも、万葉はよく学ばでかなはぬ書也、なほ文をつくるべき学びかた、心得なども、古体近体、世々のさまなど、くさぐさいふべき事多くあれども、さのみはこゝにつくしがたし、大抵歌に准へても心得べし、そのうち文には、いろいろのしなあることにて、其品によりて、詞のつかひやう其外、すべての書キやう、かはれること多ければ、其心得有べし、いろいろのしなとは、序、或は論、或は紀事、或は消息など也、さて後世になりて、万葉ぶりの歌を、
現代語訳
だからこそ師も、自分で古風の歌を詠み、古風の文を作れと教えられたのである。文の事は、古文は『延喜式』巻八にあるさまざまな祝詞や、『続日本紀』の御代御代の宣命など、古語のままに残っている文である。二典の中にも時々は古語のままの文がある。そのほかの古書どもにも、時々は古文が混じっていることがある。あれこれを取って手本とすべきである。『万葉集』は歌であって、歌と文とは言葉の異なることなどがあるけれども、歌と文との言葉づかいの区別をよくわきまえ選んで取るならば、歌の言葉も多くは文にも用いることができるものなので、古文を作る学びにも、『万葉集』はよく学ばなくてはならない書である。なお文を作るための学び方や心得なども、古体・近体、代々の様など、さまざま言うべき事が多くあるけれども、そうそうここに尽くしがたい。おおよそ歌になぞらえて心得るべきである。そのうち文にはいろいろな種類があって、その種類によって、言葉の使い方そのほか、すべての書き方が変わることが多いので、その心得があるべきである。いろいろな種類とは、序、あるいは論、あるいは記事、あるいは消息などである。さて後世になって、万葉風の歌を、
解説
この章句が説くこと
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしおのづからの勢ヒにて、万葉に載れるころの歌にいたりては、みなかまへてよくよまんと、求めたる物にこそあれ、おのづからに出来たるは、いとすくなかるべし、万葉の歌すでに然るうへは、まして後世今の世には、よくよまんとかまふること、何かはとがむべき、これおのづからの勢ヒなれば、古風の歌をよまん人も、隨分に詞をえらびて、うるはしくよろしくよむべき也、万葉の歌の中にても云々、此集は、撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば、古ヘながらも、あしき歌も多し、善悪をわきまへて、よるべきなり、今の世、古風をよむともがらの、よみ出る歌を見るに、万葉の中にても、ことに耳なれぬ、あやしき詞をえり出つかひて、ひたすらにふるめかして、人の耳をおどろかさんとかまふるは、いといとよろしからぬこと也、歌も文も、しひてふるくせんとて、求め過たるは、かへすかへすうるさく、見ぐるしきものぞかし、万葉の中にても、たゞやすらかに、すがたよき歌を、手本として、詞もあやしきをば好むまじき也、
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし万葉集をよくまなぶべし、此書は、歌の集なるに、二典の次に挙て、道をしるに甚ダ益ありといふは、心得ぬことに、人おもふらめども、わが師ノ大人の古学のをしへ、専らこゝにあり、其説に、古ヘの道をしらんとならば、まづいにしへの歌を学びて、古風の歌をよみ、次に古の文を学びて、古ヘぶりの文をつくりて、古言をよく知リて、古事記日本紀をよくよむべし、古言をしらでは、古意はしられず、古意をしらでは、古の道は知リがたかるべし、といふこゝろばへを、つねづねいひて、教へられたる、此教へ迂遠きやうなれども、然らず、その故は、まづ大かた人は、言と事と心と、そのさま大抵相かなひて、似たる物にて、たとへば心のかしこき人は、いふ言のさまも、なす事のさまも、それに応じてかしこく、心のつたなき人は、いふ言のさまも、なすわざのさまも、それに応じてつたなきもの也、又男は、思ふ心も、いふ言も、なす事も、男のさまあり、女は、おもふ心も、いふ言も、なす事も、女のさまあり、されば時代々々の差別も、又これらのごとくにて、心も言も事も、上代の人は、
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし上古のなれば、殊に古言古意をしるべき、第一の至宝也、然れどもその数多からざれば、ひろく考るに、ことたらざるを、万葉は、歌数いと多ければ、古言はをさをさもれたるなく、伝はりたる故に、これを第一に学べとは、師も教へられたる也、すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるやうなる理窟は、露ばかりもなく、たゞゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける、さて此万葉集をよむに、今の本、誤字いと多く、訓もわろきことおほし、初学のともがら、そのこゝろえ有べし、みづからも古風の歌をまなびてよむべし、すべて万ヅの事、他のうへにて思ふと、みづからの事にて思ふとは、浅深の異なるものにて、他のうへの事は、いかほど深く思ふやうにても、みづからの事ほどふかくはしまぬ物なり、歌もさやうにて、古歌をば、いかほど深く考へても、他のうへの事なれば、なほ深くいたらぬところあるを、みづからよむになりては、我ガ事なる故に、心を用ること格別にて、深き意味をしること也、
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしたててよめる人は、たゞ鎌倉ノ右大臣殿のみにして、外には聞えざりしを、吾師ノ大人のよみそめ給ひしより、其教によりて、世によむ人おほく出来たるを、其人どもの心ざすところ、必しも古の道を明らめんためによむにはあらず、おほくはたゞ歌を好みもてあそぶのみにして、その心ざしは、近世風の歌よみの輩と、同じこと也、さればよき歌をよみ出むと心がくることも、近世風の歌人とかはる事なし、それにつきては、道のために学ぶすぢをば、姑くおきて、今は又たゞ歌のうへにつきての心得どもをいはんとす、そもそも歌は、思ふ心をいひのぶるわざといふうちに、よのつねの言とはかはりて、必詞にあやをなして、しらべをうるはしくとゝのふる道なり、これ神代のはじめより然り、詞のしらべにかゝはらず、たゞ思ふまゝにいひ出るは、つねの詞にして、歌といふものにはあらず、さてその詞のあやにつきて、よき歌とあしき歌とのけぢめあるを、上代の人は、たゞ一わたり、歌の定まりのしらべをとゝのへてよめるのみにして、
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、歌に伝はり、なせりし事は、史に伝はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又歌にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古歌にある也、さて古の道は、典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古歌をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初学のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古伝説のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古言をしるべきことは、万葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる歌どもは、
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うひ山ぶみ・注[ウ]万葉の歌の中にてもいまだその法度を示したる書などもなき故に、とかく古風家の歌は、みだりなることおほきぞかし、長歌をもよむべし、長歌は、古風のかた殊にまされり、古今集なるは、みなよくもあらず、中にいとつたなきもあり、大かた今の京になりての世には、長歌よむことは、やうやうにまれになりて、そのよみざまも、つたなくなりし也、後世にいたりては、いよいよよむことまれなりしを、万葉風の歌をよむ事おこりて、近きほどは、又皆長歌をも多くよむこととなりて、其中には、万葉集に入ルとも、をさをさはづかしかるまじきほどのも、まれには見ゆるは、いともいともめでたき大御世の栄えにぞ有ける、そもそも世の中のあらゆる諸の事の中には、歌によまんとするに、後世風にては、よみとりがたき事の多かるに、返て古風の長歌にては、よくよみとらるゝことおほし、これらにつけても、古風の長歌、必ズよみならふべきこと也、又後世風をもすてずして云々、今の世、万葉風をよむ輩は、後世の歌をば、ひたすらあしきやうに、いひ破れども、そは実によきあしきを、
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