徒然草 / 第201段
退凡下乘の卒塔婆、外なるは下乘、内なるは退凡なり。
新字:退凡下乗の卒塔婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
書き下し
退凡下乗の卒塔婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
現代語訳
退凡下乗の卒塔婆(そとば)は、外側にあるものが「下乗」、内側にあるものが「退凡」である。
解説
寺社の参道に立てられる「退凡下乗」の卒塔婆(標識)について、その配置順を正しく記した一段です。「下乗」は乗り物から降りるべき地点を示し、「退凡」は凡夫がそれ以上聖域に立ち入るのを慎むべき地点を示す標識で、参詣の作法として広く知られていました。兼好はどちらが外側でどちらが内側かという細部を、あえて短く言い切る形で書き残しています。当時、こうした故実は口伝や慣習で伝わりがちで、誤って伝えられることも多かったため、正しい知識を記録しておくこと自体に意味がありました。現代で言えば、慣習的なルールやマナーの手順を、誰かがきちんと言語化して残しておく作業に近いものです。曖昧なまま済まされがちな細部を正確に定義しようとする姿勢は、記録や引き継ぎの文化を考える上で参考になります。
この章句が説くこと
退凡下乗卒塔婆下乗退凡参詣作法寺社
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