徒然草 / 第198段
揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要畧にあり。
書き下し
揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要畧にあり。
現代語訳
揚名介に限らず、揚名目というものがある。政事要略にある。
解説
前段に続く官職名についての、極めて短い考証の段です。「揚名介」とは、実際の職務や俸禄を伴わず名前だけを与えられる名誉的な官職として知られていますが、兼好はこれが「介」という位に限った制度ではなく、「揚名目」という同様の名目だけの官職も存在することを指摘し、その典拠が『政事要略』という平安時代の法制・故実に関する書物にあることを示します。前段の「定額」の考証と同じく、ある制度や呼称を狭い範囲のものと思い込まず、他の官職にも同様の仕組みが及んでいたことを文献によって確かめる姿勢がここでも貫かれています。実体を伴わない名目だけの地位という制度そのものも、肩書きと実質が必ずしも一致しない官僚制度の一側面を映しており、名ばかりの役職や名誉職が現代の組織にも存在することを思えば、制度の実態と名称の関係を見極める目の大切さを、この短い考証からもくみ取ることができます。
この章句が説くこと
揚名介揚名目政事要略名目官職故実
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