徒然草 / 第163段
太衝の太の字、點打つ打たずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたるを書きたり。」と申しき。
新字:太衝の太の字、点打つ打たずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衛関白殿にあり。点うちたるを書きたり。」と申しき。
書き下し
太衝の太の字、点打つ打たずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衛関白殿にあり。点うちたるを書きたり。」と申しき。
現代語訳
「太衝」という言葉の「太」の字に点を打つべきか打たざるべきかということで、陰陽師の仲間内で論争があった。もりちか入道が申されたことには、「安倍吉平が自筆で書いた占いの文書の裏に記された御記録が近衛関白殿のもとにある。それには点を打った字が書かれている。」とのことであった。
解説
陰陽道の専門家たちが「太衝」という語の表記―「太」の字に点を打つか打たないか―という一字の書き方をめぐって真剣に論じ合った逸話です。もりちか入道は、著名な陰陽師・安倍吉平自筆の占文の裏書という実物の史料を根拠に、点を打つのが正しいと主張しています。現代の感覚では字体の些末な違いに見えるかもしれませんが、当時の陰陽道は暦や吉凶を左右する国家的な学問であり、一字の正誤が儀式や政治判断に直結したため、専門家たちにとっては軽視できない問題でした。兼好はこうした学問の世界の細部への執着を、批判するでもなく淡々と記録しています。現代でも専門分野の細部の正確さをめぐる論争は、外部から見れば些細でも当事者には重大であることが多く、この段は専門知の世界における細部への執着の普遍性を映し出しています。
この章句が説くこと
太衝陰陽師もりちか入道安倍吉平占文近衛関白
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