徒然草 / 第159段
「みなむすびといふは、絲をむすびかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ。」と或やんごとなき人、仰せられき。「にな」といふは誤りなり。
新字:「みなむすびといふは、糸をむすびかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ。」と或やんごとなき人、仰せられき。「にな」といふは誤りなり。
書き下し
「みなむすびといふは、糸をむすびかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ。」と或やんごとなき人、仰せられき。「にな」といふは誤りなり。
現代語訳
「みなむすびというのは、糸を結び重ねたものが、蜷(みな)という貝に似ているから言うのだ」とある高貴な方が仰せられた。「にな」というのは誤りである。
解説
「みなむすび」という結び方の名称の語源について、糸を結び重ねた形が「蜷(みな)」という巻貝に似ていることに由来するという、ある高貴な人物の説を紹介し、俗に言われる「にな結び」という呼び方は誤りだと正す、ごく短い言葉の考証の段です。徒然草には、日常使われている言葉や作法の語源・正しい読みを、当時の教養人の説を引きながら訂正する段がいくつも収められており、この段もその例の一つです。「みな」と「にな」というわずかな音の違いにこだわって正誤を論じる姿勢には、言葉を軽んじずに一字一句の由来まで正確に把握しようとする、当時の知識人の言語感覚の細やかさが表れています。現代でも、慣用的に広まった言い方が実は誤用に由来するということは珍しくなく、この段は、普段何気なく使っている言葉の語源をたどってみることの面白さと、正確さへのこだわりの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
みなむすび蜷にな語源誤用考証
関連する章句
-
論語・顔淵篇司馬牛、仁を問う。子曰く、「仁者は、其の言や訒し。」曰く、「其の言や訒しければ、斯れ之を仁と謂うか。」子曰く、「之を為すこと難し、之を言うこと訒きこと無きを得んや。」
-
人物志・八觀其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
-
論語・子路篇子路曰く、「衛君、子を待ちて政を為さば、子将に奚をか先にせん。」子曰く、「必ずや名を正さんか。」子路曰く、「是れ有るかな。子の迂なるや。奚ぞ其れ正さん。」子曰く、「野なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於いて、蓋し闕如たり。名正しからざれば、則ち言順わず。言順わざれば、則ち事成らず。事成らざれば、則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中らず。刑罰中らざれば、則ち民手足を措く所無し。故に君子は之に名づくれば必ず言う可きなり、之を言えば必ず行う可きなり。君子は其の言に於いて、苟くもする所無きのみ。」
-
論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
-
『鬼谷子』捭闔篇口は、心の門戶なり。心は、神の主なり。志意、喜欲、思慮、智謀、此れ皆な門戶に由りて出入す。故に之を闗するに捭闔を以てし、之を制するに出入を以てす。
-
『鬼谷子』権篇古人に言有りて曰く、口は以て食らうべきも、以て言うべからず、と。言には、諱忌有り。衆口は金を爍かす。言に曲故有ればなり。