徒然草 / 第149段
鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず、ちひさき蟲ありて、鼻より入りて腦をはむといへり。
新字:鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず、ちひさき虫ありて、鼻より入りて脳をはむといへり。
書き下し
鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず、ちひさき虫ありて、鼻より入りて脳をはむといへり。
現代語訳
鹿茸(鹿の若角)を鼻に当てて嗅いではいけない。小さな虫がいて、鼻から入って脳を食うと言われている。
解説
鹿茸(鹿の生え始めの柔らかい若角で、当時から強壮の妙薬とされた漢方薬)を鼻に近づけて嗅いではならない、小さな虫が鼻から入り脳を食ってしまうと言われているという、養生にまつわる警句の段です。前段148の灸の効能に続き、この段は薬効あるものにひそむ危険という逆の側面を取り上げており、兼好が薬や治療について功罪両面の知識を集めていたことがうかがえます。医学的な当否はともかく、「良薬とされるものにも思わぬ落とし穴がある」という発想自体は普遍的です。効能や評判ばかりに気を取られて扱い方の注意を怠ると、かえって害を被ることがあるという教訓は、薬に限らず、良いとされる習慣や情報全般についても当てはまります。何であれ、効能を求めるときほど、その扱い方や副作用にも注意を払うべきだという戒めとして読むことができます。
この章句が説くこと
鹿茸養生俗信漢方効能と危険虫
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