徒然草 / 第148段
四十以後の人、身に灸を加へて三里を燒かざれば上氣のことあり、必ず灸すべし。
新字:四十以後の人、身に灸を加へて三里を焼かざれば上気のことあり、必ず灸すべし。
書き下し
四十以後の人、身に灸を加へて三里を焼かざれば上気のことあり、必ず灸すべし。
現代語訳
四十歳以後の人は、体に灸をすえて三里(足のつぼ)を焼かなければ、のぼせることがある。必ず灸をするべきである。
解説
四十歳を過ぎたら灸で足の「三里」というつぼを焼いておかないと「上気」(のぼせ、頭に血が上る症状)を起こすことがあるので、必ず灸を据えるべきだという、極めて実用的な健康法の段です。前後の段(147〜149)は灸や薬にまつわる俗信や実際の養生の知恵が並んでおり、兼好が当時の医療知識にも広く関心を持っていたことがうかがえます。三里は現在も鍼灸で用いられる代表的なつぼで、江戸期の松尾芭蕉が「奥の細道」の旅立ちに際して三里に灸をすえたという逸話が残るほど、長らく健脚祈願・健康維持の定番とされてきました。数え四十を過ぎれば体力の衰えを自覚し始める年齢という認識は現代にも通じ、この段は、老いの兆しを感じ始めたら早めに具体的な養生を実践せよという、加齢と向き合う実践的な心構えを説いていると言えます。
この章句が説くこと
灸三里上気養生四十以後健康法
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