徒然草 / 第147段
灸治あまた所になりぬれば神事に穢れありといふこと、近く人のいひ出せるなり、格式等にも見えずとぞ。
書き下し
灸治あまた所になりぬれば神事に穢れありといふこと、近く人のいひ出せるなり、格式等にも見えずとぞ。
現代語訳
灸治をたくさんの場所にすると神事において穢れがあるということは、最近になって人が言い出したことである。格式(儀式の規定書)などにも見えないという。
解説
「灸をあちこちに何ヶ所も据えると神事の際に穢れとなる」という俗説について、兼好がそれは最近言われ始めたことにすぎず、格式(朝廷の儀式や作法を定めた古い法典)にはそのような規定は見当たらないと指摘する、ごく短い考証の段です。徒然草には、こうした当時の巷間の俗説・迷信・作法の由来を、根拠となる古典籍に照らして検証する段がいくつも見られ、この段もその一つです。兼好は有職故実(朝廷の伝統的な儀式作法)に通じた学識人であり、根拠のない新しい習わしが、あたかも昔からの決まりのように広まっていくことに対して、常に冷静な検証の目を向けています。現代でも、いつの間にか「昔からの決まり」として語られる慣習の中には、実際には近年になって生まれた俗説にすぎないものが少なくありません。何かを「伝統だから」と鵜呑みにする前に、その由来を確かめる姿勢の大切さを、この短い段は静かに教えてくれます。
この章句が説くこと
灸治神事穢れ格式俗説有職故実
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