徒然草 / 第86段
惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ。」といはれけり。いみじき秀句なりけり。
新字:惟継中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ。」といはれけり。いみじき秀句なりけり。
書き下し
惟継中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ。」といはれけり。いみじき秀句なりけり。
現代語訳
惟継中納言は、詩歌管弦の才能に富んだ人であった。一生涯精進しつつ、読経をして、三井寺の法師である円伊僧正と同宿していたところ、文保年間に三井寺が焼けた時、その坊主に会って、「あなた様の事は『寺法師』と申しておりましたが、寺がなくなった今からは『法師』とだけ申しましょう。」とおっしゃった。実にみごとな秀句であった。
解説
詩歌管弦の才に富んだ惟継中納言と、三井寺の円伊僧正が同宿していた折、文保年間に三井寺が火災で焼失した際に、惟継が円伊に向かって「今まではあなたを『寺法師』とお呼びしていましたが、寺がなくなった今後は『法師』とだけお呼びしましょう」と言ったという、しゃれた即興の言葉遊びを紹介する短い段です。「寺」の字が抜け落ちるだけで意味が通じてしまう機知と、寺が焼けたという深刻な出来事をユーモアに変えて相手を励ますような軽妙さを、兼好は「いみじき秀句」と高く評価しています。深刻な事態の最中でも当意即妙の言葉遊びで場を和ませる教養と機転は、単なる笑い話にとどまらず、言葉に対する感度の高さや、辛い状況にも軽妙な機知で向き合う姿勢の美しさを伝えています。
この章句が説くこと
惟継中納言円伊僧正三井寺秀句機知言葉遊び
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