徒然草 / 第46段
柳原の邊に、強盜法印と號する僧ありけり。度々強盜にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。
新字:柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。度々強盗にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。
書き下し
柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。度々強盗にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。
現代語訳
柳原のあたりに、強盗法印と名乗る僧がいた。度々強盗に遭った故に、この名がつけられたのだという。
解説
わずか二文のごく短い段ですが、あだ名にまつわる小話として印象的です。「強盗法印」という物々しい名の由来が、実は本人が強盗を働いたからではなく、逆に度々強盗の被害に遭ったからだという、拍子抜けするようなオチになっています。前段の榎の僧正から堀池の僧正へと続くあだ名の連鎖と並べて置かれていることからも、兼好がこの時代の人々のあだ名の付け方やその由来のおかしさに関心を寄せていたことがうかがえます。名前だけを聞くと物騒な人物を想像してしまうのに、実態は被害者だったという意外性が、短い文章の中に凝縮されています。名前や肩書きだけで人物像を決めつけることの危うさ、そして事実を知って初めて見え方が変わる面白さを、さりげなく教えてくれる一段です。短い断片の中にも人の噂話や名付けの機微を拾い上げる兼好の観察眼が、簡潔な文体の中に凝縮されています。
この章句が説くこと
強盗法印柳原あだ名由来意外性
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