徒然草 / 第84段
法顯三藏の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き氣色を、人の國にて見え給ひけれ。」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな。」といひたりしこそ、法師の樣にもあらず、心にくく覺えしか。
新字:法顕三蔵の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き気色を、人の国にて見え給ひけれ。」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな。」といひたりしこそ、法師の様にもあらず、心にくく覚えしか。
書き下し
法顕三蔵の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き気色を、人の国にて見え給ひけれ。」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな。」といひたりしこそ、法師の様にもあらず、心にくく覚えしか。
現代語訳
法顕三蔵が天竺に渡って、故郷の扇を見ては悲しみ、病に伏しては中国の食べ物を恋しがりなさった事を聞いて、「あれほどの立派な人が、まったくもって心弱い様子を、異国の地でお見せになったものだ。」とある人が言ったのに対し、弘融僧都が、「優しく人情味のあった三蔵であるよ。」と言ったのは、僧侶らしくもなく、奥ゆかしく感じられた。
解説
求法のために天竺(インド)へ渡った法顕三蔵が、故郷を偲ばせる扇を見ては悲しみ、病に臥せっては故郷の食べ物を恋しがったという逸話をめぐるやり取りです。ある人はそれを「あれほどの高僧が異国で心弱い姿を見せるとは」と批判的に評しましたが、弘融僧都は「情け深く優しい三蔵であったなあ」と肯定的に受け止めます。兼好はこの弘融僧都の言葉を、僧侶らしからぬ、それでいて奥ゆかしいものとして高く評価しています。求道者としての強さや悟りの境地ばかりを求めるのではなく、故郷を懐かしみ弱さを見せる人間らしい情を認め、それを美しいと感じ取る弘融僧都の感性が光る一段です。第84段は前段までの「完璧さより不揃いや余白を良しとする」美意識とも通じ合い、強さや立派さよりも人間味あふれる弱さや情に価値を見出す兼好の人間観がうかがえます。
この章句が説くこと
法顕三蔵弘融僧都望郷人情心にくし天竺
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