徒然草 / 第20段
某とかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。
新字:某とかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。
書き下し
某とかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。
現代語訳
「某」とかいう世捨て人が、「この世に何のしがらみも持たない身であるが、ただ空の名残だけが惜しい」と言ったのは、まことにそうであろうと思われる。
解説
出家して俗世のしがらみを断った、ある世捨て人の言葉を紹介する短い段です。財産も家族も地位も手放した身であっても、ただ空—移ろう月や雲、四季の景色—だけは名残惜しいと語ったといいます。世を捨てたはずの人でさえ、自然の美しさへの愛着だけは捨てきれなかったという逸話に、兼好は深く共感を示します。ここには、人間の執着のうちで最も断ちがたいのは財産や地位への欲ではなく、美しいものに心を動かされる感受性そのものではないか、という洞察があります。現代でも、物やお金への執着は手放せても、夕焼けや星空に心奪われる瞬間だけは誰にでも残るのではないでしょうか。この段は、簡潔な一言のうちに人間の美意識の根深さを映し出しています。
この章句が説くこと
世捨て人出家執着無常自然美月
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