徒然草 / 第31段
雪の面白う降りたりし朝、人の許いふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひがひがしからむ人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへすがへす口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。
書き下し
雪の面白う降りたりし朝、人の許いふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひがひがしからむ人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへすがへす口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。
現代語訳
雪が趣深く降っていた朝、ある人のところに用件があって手紙を送ったが、雪のことには一言も触れなかった。その返事に、「この雪をどう御覧になったかと、一言もおっしゃらないほどの、風流を解さない人のおっしゃることなど、聞き入れられましょうか。返す返すも残念な御心です」と言ってきたのは、興味深いことであった。その人は今は亡くなってしまったので、これほどのささいなことも忘れがたい。
解説
雪の日に交わされた手紙をめぐる小さな逸話です。用件だけを書いて雪に触れなかった手紙への返事として、「雪をどう見たか一言もない無風流な人の言うことなど聞けない」とやんわり非難された経験を、兼好は「をかしかりしか」と面白がって振り返ります。実用的な用件だけを述べて季節の情趣に触れないことを、相手は風流を解さない態度として咎めたわけで、当時の人々にとって手紙や会話に季節の情感を織り込むことがどれほど当然の礼儀であったかがうかがえます。その人が今は亡くなっているという一言が加わることで、ちょっとした軽妙なやり取りの記憶が、失われた人への愛惜へと静かに転じていきます。ちょっとした会話や気配りの記憶が、後になって大切な思い出になるという経験は、誰にでも覚えのあることでしょう。
この章句が説くこと
雪手紙風流返事追憶礼儀
関連する章句
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『十七条憲法』第四条四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
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葉隠・聞書第一心安い人も慇懃(いんぎん)に取り合うのが侍の作法、恥ずかしむるは作法でない。何某(なにがし)へ町方(まちかた)の何某が訴状(そじょう)を渡すべしと申し候時、請け取るまじきと申し候を、何某が居合わせ、「まず請け取り置き候て、無用と候わば返し申され候えかし」と申し候に付いて、「さらば請け取り置くべし」と申し候時、「請け取らせる物を請け取らずに置く事がなるものか」と、いやしめ申され候由、話す人あり。役所々々(やくしょやくしょ)にて慇懃に取り合うのが士の作法にてあらずとなり。
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孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
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孟子・離婁章句下公行子、子の喪有り。右師往きて弔す。門に入るや、進みて右師と言う者有り。右師の位に就きて右師と言う者有り。孟子、右師と言わず。右師悅ばずして曰く、「諸君子皆、驩と言う、孟子獨り驩と言わず。是れ驩を簡にするなり。」孟子、之を聞きて曰く、「禮に、『朝廷には位を歷て相與に言わず、階を踰えて相揖ぜず。』と。我、禮を行わんと欲するに、子敖は我を以て簡なりと為す。亦た異ならずや。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「恭者は人を侮らず、儉者は人より奪わず。人を侮り奪うの君は、惟だ順わざらんことを恐る。惡くんぞ恭儉を為すを得んや。恭儉は豈に聲音笑貌を以て為す可けんや。」
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孟子・萬章章句下萬章問いて曰く、「敢て問う、交際は何の心ぞや。」孟子曰く、「恭なり。」曰く、「之を卻くべきに、之を卻くるを不恭と為すは、何ぞや。」曰く、「尊者、之を賜うに、其の之を取る所の者は、義か、不義か、と曰いて、而る後に之を受く。是を以て不恭と為す。故に卻けざるなり。」曰く、「請う辭を以て之を卻くること無く、心を以て之を卻け、其の諸を民に取るの不義なるを曰いて、而して他辭を以て受くること無きは、不可ならんか。」曰く、「其の交わるや道を以てし、其の接するや禮を以てせば、斯ち孔子も之を受けたり。」萬章曰く、「今、人を國門の外に禦する者有りとせん、其の交わるや道を以てし、其の餽(おくる)るや禮を以てせば、斯ち禦を受く可きか。」曰く、「不可なり。康誥に曰く、『人を貨に殺越し、閔として死を畏れざる、凡民譈(うらむ)まざること罔し。』是れ教うるを待たずして誅する者なり。殷、夏を受け、周、殷を受け、辭せざる所なり。今に於て烈と為す。之を如何ぞ、其れ之を受けん。」曰く、「今の諸侯は、之を民に取る、猶ほ禦のごときなり。苟も其の禮際を善くせば、斯ち君子之を受るは、敢て問う何の說ぞや。」曰く、「子以為えらく、王者作る有らば、將に今の諸侯を比して之を誅せんか、其れ之を教え、改めずして而る後之を誅せんか、と。夫れ其の有に非ずじて之を取る者を盜と謂うは、類を充て義の盡くるに至るなり。孔子の魯に仕うるや、魯人、獵較すれば、孔子も亦た獵較せり。獵較すら猶ほ可なり。而るを況んや其の賜を受くるをや。」曰く、「然らば則ち孔子の仕うるや、道を事とするに非ざるか。」曰く、「道を事とするなり。」「道を事とせば、奚ぞ獵較するや。」曰く、「孔子は先づ祭器を簿正し、四方の食を以て簿正に供しめず。」曰く、「奚ぞ去らざるや。」曰く、「之が兆を為すなり。兆以て行うに足る。而るに行われず。而して後去る。是を以て未だ嘗て三年終うるまで淹(とどまる)る所有らざるなり。孔子には行可を見るの仕え有り、際可の仕え有り、公養の仕有り。季桓子は見行可の仕えなり。衛の靈公に於いては、際可の仕えなり。衛の孝公に於いては、公養の仕えなり。」